葬祭あるある
私もパートナーも昔小さな(それぞれ車で一周1時間弱と一周30分)島に住んでいたことがあるんだけれど、先日ご飯を食べながら
「私が住んでいた頃はうちの島は野焼きだった、野焼きのできない地域はまだ土葬だったらしい」
「それでかい島マウントやで!うちは埋める場所なんかないから、死んだら周りの島に頼んで埋めてもらってた」
「物理的に土地がないもんな」
「そんで大きい島に埋めて貰えたら、すごいやろーって近所にドヤ顔できんねん」
「うちは墓が本土にあると椅子取りゲームで負けたやつみたいな顔されてたな」
「島の葬式ってめっちゃ金かかるよな…ご遺体動かすのと保管しとくのが大変」
「うちの頃はさすがになかったけど、風葬の地域もあったらしい」
「猪のおらんとこやったらまあ…(人獣共通感染症)」
「今はもうできんな…」
と島嶼部葬祭あるあるの話をした
こういう話をしていると「田舎は遅れている」みたいな差別発言(「自分たちが失ってしまった素敵なものがまだ残っている」方向の消費を含む)を悪気なくポンポン寄越されることが多いんだけれど、
こう、新しい文化や技術や知識といったものは中央から地方へ流れるだけのものとナチュラルに思われてるフシがわりとあるなと
持てる者が持たざる者を助けた結果この世界がある的な、ファーストクラスの運賃で飛行機は飛んでる論というか、いやトリクルダウンだって全然うまくいかなかっただろ…というか、タンスの裏から忘れてた一万円出てきたみたいな言い方するなよ…みたいな
「遅れている」ではなく「違う」という前提で批判があればお互い大いにやればよいが、「遅れている」の認識から脱却できない状態でやるならそりゃ反感買うし、紆余曲折乗り越えて消滅させず存在させてきた一万円を「自分が落とした物」的に掻っ攫っていくので(本当に大昔の落とし物そのままだったら今使えるわけなくない?)怒られるし、そのくせ地方に回す税やらリソースは中央がガッツリ管理してるし、そういうのをスルーしてしまう感覚を差別意識と呼びます…と思う