ヘミングウェイ『キリマンジャロの雪』「二つの心臓を持つ大川」(その一)(その二)読了。
いいタイトルだなあ。マス釣り一人キャンプ。焚き火とコーヒー。
とにかく描写が細かい。周囲の自然や主人公の一挙手一投足を、細々と淡々と追っていく、それだけの話。
それだけなんですが、「釣り楽しい」という感情が抑えていても伝わってくる。
“「ちくしょう」とニックは言った。「ちくしょう、うめえぞ」と彼はしあわせそうに言った。」” とかいった文章のざっかけなさが、堪らんですね。
#読書
ヘミングウェイ『キリマンジャロの雪』「事の終り』読了。
静かで穏やかな話。
一緒にマス釣りをし焚き火を囲み月を見て、男は彼女に「きみといても、もう楽しくない」と別れを切り出し、別れる。
「おれの内部で、何もかもだめになっちゃった感じなんだ。ねえ、マージ、おれ自身にもわからないんだよ」
「きみといても、もう楽しくない」の前に、「きみはなんでも知ってるんだね」「おれはきみにいろんなことを教えてやったよ」とか言っていて、くそうといった感じなのですが、わたしは男がどういう感情を持っていれば納得したんだろう。
うまくいってるのにだめになった時、どうすればいいんだろうか。
#読書
ヘミングウェイ『キリマンジャロの雪』「殺し屋」読了。
簡易食堂に二人組のヒットマンが訪れるが、対象者は現れず、ヒットマンは去る。ヒットマンと店員の、長閑で緊迫感のあるやりとりを味わう話。
「あの人は来ませんね」
「もう十分待ってみよう」
「もう五分待ってみよう」
ヒットマンが去った後が味わい深くて、店員さんが対象者に「あんた狙われてますよ」と忠告に行くのですが、対象者はずっと壁を見たまま「ここを出ていく決心がつかない」と言うんですね。
後を尾けられたり、口止めとかないんだなあ、と随分と牧歌的な話だなあと思いました。なんか変な感じ。
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ヘミングウェイ『キリマンジャロの雪』「異国にて」読了。
治療のため病院に通う傷病兵の交流。米兵がイタリアにいるので、二次大戦時かな。勲章の内容によって壁ができたりできなかったりするが、一緒にカフェには行く。
手が萎縮した元フェンシング選手の少佐は、遠く郷里で妻が病没したことを嘆く。
負傷したことに関しては特にこれいった感情が書かれていないので、妙な離人症感や浮遊感がある。そんな中で、最後に唐突に挿入される、妻を亡くした少佐の嘆きが静寂を破って響く。
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ヘミングウェイ『キリマンジャロの雪』「白い象のような丘」読了。
よく晴れたスペイン南部の見晴らしのいい駅の横の酒場のテラス席で、アメリカ人の男女がビールなどの酒を飲み、手術をするだのしないだのと会話をしている話。
ビールが美味しそう。
野坂昭如は「男と女のあいだには/深くて暗い河がある」(『黒の舟唄』作詞:能吉利人/作曲:桜井順)と、酔いどれてドブ川の風情で男と女の関係を歌ったのですが、ヘミングウェイは光に溢れる景色の中で白々と男と女の関係を書くのだなあ、と思った。
野坂昭如のほうは「誰も渡れぬ 河なれど
/エンヤコラ今夜も 舟を出す」と歌うのですが、ヘミングウェイのほうはそんな歩み寄りなんかなくて、女に 「あたし、別にどうもしちゃいないわ。いい気分よ」と言わせるんですね。胸糞悪い。
それはそれとして、ビール美味しそう。
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ヘミングウェイ『キリマンジャロの雪』「アルプスの牧歌」読了。
わ、わけの分からん話だ。ひたすら悪趣味で胸糞悪い。なんじゃ、こりゃ。
春のオーストリアの山でスキーするところが導入で、そこから宿で地元の話を聞くことになる、という流れなんだけど。これ書いて何がしたかったの?
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ヘミングウェイ『キリマンジャロの雪』「清潔な明るい場所」読了。
あんまりまとまってはいない感じだけど、虚無の気分はよく掬い取れてる感じ。
“ベッドに横になり、やがて、明るくなってきたら、眠ることにしよう。”
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ヘミングウェイ『キリマンジャロの雪』「世の光」読了。
獣皮とタン皮と鋸屑の臭いがする町の酒場で、娼婦たち駄弁っている猥雑な話。会ったことも見たこともない拳闘士を褒め称え夢を語る。
とりあえず当面を生きるに当たって、アイドル的なものが要るって話なのかなあ?
“「あの人は、“アリス、おまえはかわいい女だよ” って言ったわ。そっくりそのとおりに言ったのよ」”
“「あたしの思い出をそっとしといてちょうだい」とオキシフル金髪は言った。「あたいのほんとにすばらしい思い出をさ」”
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ヘミングウェイ『キリマンジャロの雪』「キリマンジャロの雪」読了。
“キリマンジャロは、高さ一九、七一〇フィートの、雪におおわれた山で、アフリカ第一の高峰だといわれる。その西の頂はマサイ語で、“神の家(ヌガイエ・ヌガイ)と呼ばれ、その西の山頂のすぐそばには、ひからびて凍りついた一頭の豹の屍が横たわっている。そんな高いところまで、その豹が何を求めて来たのか、今まで誰も説明したものがいない。”
アフリカへ狩猟旅行に来た作家は、ちょっとした掻き傷が元で壊疽を起こし、死の床についていた。そこで自分の人生を回想する。
冒頭のエピグラフが最高!完璧!美しい!この孤高さよ!もう、これ、エピグラフだけでいいよ!
エピグラフと本文の落差が甚だしい。いやあ、でたん読みづらかった。
本文は、作家の現状と、作家の回想とせん妄、そこからの作家の小説の構想が綯交ぜとなっており、今何を読んでいるのかすぐに分からなくなる。この混乱は意図的なものだと思う。
#読書
で、この作家がどういう作家かというと、ウソばかりついていてそれが職業になった、書くべきものは何一つ書いていない、すべきことではなくやりたいことばかりやってきた、というような作家として描写されています。
放埒に生きていて、それが可能程度には売れっ子だったのでしょうね。
んで、それが自分の死に臨んで、妻に八つ当たりはするは、自棄酒は飲むは、過去の回想も自己陶酔と自己憐憫が激しく、その愚図っぷりも愛嬌を欠いていて、とても好感が持てるような感じではない。
エピグラフの高潔さとは雲泥の差のみじめったらしさで。
でも、たぶん、エピグラフの豹と、この作家はイコールなんですよ。最期夢の中で、作家はキリマンジャロの山頂へ飛び立っていたし。
自己認識と理想と、実際の自己の在り方の埋め難い差。書くべきものを何一つ書いてこなかったという後悔。死に臨んでやっと書くべきもの向き合えた、ある種の救済。
おそらく社会的成功を収めている作家は、自分のその生き方に納得していない。書くべきものを何一つ書いていないからだ。
だから、まあ、たぶん “その豹が何を求めて来たのか、今まで誰も説明したものがいない。” ということになるんでしょうね。
ヘミングウェイ『キリマンジャロの雪』「フランシス・マコンバーの短い幸福な生涯」読了。
登場人物は、資産しか取り柄のない臆病な夫と、失われつつある若さと美しさしか取り柄のない妻と、案内・指南役として雇われたハンターの三人。
三人が三人ともお互いを軽蔑していて、じわじわ嫌な話だった。
アフリカに狩猟旅行に来た夫婦と、案内役のハンター。表面上は和やかに過ごしている。ライオンに怯え逃げ出した夫を見下げた妻は、ハンターと不貞を働く。夫は不貞に気付くが何も言えない。翌日、夫は克己し水牛を追い撃つが、妻に撃ち殺される。
事故か事件か。わたしは事故だと思うのですが、作中のハンターは「なかなかえらいことをやりましたな」とか言うんですよ。「もちろん、これは事故です」とも。何もかも分かってますよ、といった調子で。ちくしょうめ。それに対して妻は「やめて、やめて」と繰り返すばかりで。
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夫のマコンバー氏は、妻を同伴していなければ水牛を撃ちに行くことも、その結果命を落とすこともなかったと思うんですよね。ライオンから逃げたことで失った妻からの尊敬を取り戻そうと、水牛に立ち向かったわけで。
この話を読む限りでは、男の尊厳とかクソ喰らえと思わんこともないわけですが、寝取られたままでいるのは耐えられなかったわけで。まあ、致し方ないのかなあ。
マコンバー氏はたぶん妻からの尊敬をある程度は取り戻して、そこで命が打ち止めになったのですが、あながちそれが悪いわけでもなく。
何事もなく国へ帰っても、惰性と妥協で腐っていくだけの生活だったと思うので。まあ、だから、「フランシス・マコンバーの短い幸福な生涯」というわけなんでしょうね。
ヘミングウェイ『キリマンジャロの雪』読了。
装飾を削ぎ落とした感じの文体はわりかし好みでした。釣り上げたマスが立派ならば、“立派なマスだ” とだけ書いて、どういう風に立派だとか書かないんですよ。カッコイイ!
で、その文体で書かれたものは、わたしにはピンと来ませんでした。
文章にうっすら厭世観や自己嫌悪が漂っているのですが、そこに自己陶酔も貼り付いてる感じがして苦手です。
表面上は物事の善し悪しを裁定しない書き方は美点だとは思うのですが、その分話の焦点が分かりづらいです。
お前はどう思ってるんだよお!と、肩を揺さぶりたくなるのですが、そこんとこはっきりさせないのが、文学なんでしょうか。
短編ひとつ読む毎に感想を上げる方式にしたのは、ちょっとお邪魔だったかもしらんと後悔しています。
ヘミングウェイ『キリマンジャロの雪』「エリオット夫妻」読了。
あ、悪趣味な話だなあ。
25歳の潔癖症の男と40歳のたぶん行き遅れの女が結婚するが、夫は仕事に没頭し、妻は女友達と泣いて寝て、3人は幸せに暮らしました。
皮肉気に滑稽さを滲ませて書いていて、あんまり人を笑ってくれるな。
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