さて、じゃあ複雑な指示を与えてAIに生成させたら、それは創作か?という話。
そもそも「単純な指示」というのはwell-definedじゃないし、主観的なものだ。私個人は、Stable Diffusionに与えるプロンプトや、i2iの下絵ラクガキ、inpaintのマスク指定、CNによる構図指定、プロンプトガチャによる厳選などは、全部「単純な指示」だと思ってる。これらはすべて、「作品の構成要素」ではなく、出力を得るためのクエリなので。
この辺りは個人的な見解、感覚の域を出ないし、こんだけ人間による手が入ってたらそれはもう創作だろ、と考える人が少なからず居るのも事実だが、私の考え方でいくと、特に画像生成AIの出力はほとんど全部、創作物とは見做せないんだよね。
なので、生成AIの出力を共有することは表現活動ではないと思っているし、「生成AIの出力を共有、公開することを規制、禁止する」行為は、表現の自由を損なっている、とは感じない。
Stable Diffusionは、プロンプトに自然言語を与えられるので、あたかも「自然言語を用いて絵を描画している」っぽく感じさせることが、創作感を醸し出してて、なんだかなぁと常々思う。
SDにおけるプロンプトとは、学習させた絵に紐付いたキャプション(エンコードされて、画像と共通のエンコード形式になってはいるが)なので、検索エンジンに与えるクエリと大差無いのだがなぁ。