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ずっと言ってんだけど、”すべての差別に反対します”という言葉の欺瞞性について考えている。

己に課す理念としては反対するべくもないけれど、連帯する人にもそれを求めるのはどうかなと。

私はエスニックマイノリティだけれど、知らないエスニシティには知らない間に足を踏んでる可能性が高いわけで。
更にいえばジェンダーに関してはマジョリティなので、己の無知や意識していなかった差別心や優越性に気付かされることがしばしばであり。

エスニシティで平等を訴える知人の端々から差別的な言動に気付いてしまう事もかなりあるし。
もっといえば、”すべての差別に反対します”的な事を宣っている人が私の感度では明らかに差別心丸出しな言動をしてたりもするし。

人間、残念ながら他人の事はつぶさに洞察できるので、傍から見れば”お前は気付いてないだろうけど差別の塊だよ”みたいなのはゴロゴロいるわけで。
んで、私の中で感度の低いジェンダーイシューでは、たぶん私は知らず知らずのうちに誰かの足や頭をガッツリ踏んでるので。
でも知らないから気付かない、という。
そんな俺が”すべての差別に反対します”と胸を張って言えるかどうか、という。

とはいえ明らかなレイシストやセクシストなどのヘイターを糾弾するのに何ら制限は要らないかと思いますので、それとこれとは全然別次元の話ではあるんですけど。

なんというか、他者に対する妥協点みたいなところがないと、連帯するにもできないんじゃないかしら、と思ったので以前にも綴ったことをつらつら書いてます。
これは右翼はワンイシューでまとまるけど左翼はそれぞれに正義があるのでバラバラになりがち、みたいな問題とも関連するのかなと。
私も潔癖症というか完璧主義的な要素が多く、他者にも求めがちなのだけれど、これじゃあ連帯するにも連帯しようがなくなっちまうわな、と己にツッコミをいれてるところであり。
とか言ってて明確な答えがあるわけではないのですが。
なんつーか、そういう己を許し、鏡にしている他者も許す必要があるのかしらね、と。

fedibird.com/@upasampada/11207

解像度の荒い理解をする方々はおられると思うので再度強調しておくと、明らかなヘイターを糾弾する前に己を翻ってみよう、みたいな話ではありません。

わかりやすく丸めてしまえば、俺もお前も大なり小なり差別してんだから気を付けようぜ、という話ではあるので誤解は必然かとは思ってますが。

まあクドクド説明したところで私の労力の浪費なので、お互いに今日も頑張りましょう。 [参照]

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