「文章みたいに話す」か。少し笑ってしまった。わたしは「文章みたいに話す」人たちを求めて都会に出て大学にも行ったけど、単語を投げ合う会話の方がネイティブなんだよね多分。
ちゃんと「文章みたいに話」さないことで無意味に揉める田舎が嫌いだった。人が話してるのに遮るとか被せるのとか平気だし。だけどそれがわたしのネイティブ言語。絶対にやらないしやった瞬間血の気が引くのがわかるけど、わたしのネイティブの言葉はこれだ。
社会でやっていくにはBTの家庭教師の人みたいに為を思って教育を授ける人が正しいのだろう。それに気づいてくれる人がいて教えてくれる人がいるのは奇跡的に幸せなことだと思う。良かったなと思う。
だけどなんだろう、それでやっていける環境にいるならそれでもいいじゃんほっといてやれよ、という気持ちもどこかにある。