NHKのこのドキュメンタリー、いい番組だとは思ったのだけれど、困難に立ち向かい続ける男のドキュメンタリーは作られても、困難に立ち向かい続ける女のドキュメンタリーが作られないのはなぜか、とは思いました。
女にはその役割は期待されていないからだとはわかっていますが、そこはずいぶんもやりました。
https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2024051229102?playlist_id=1f6b8b65-160a-4b18-9d3b-0456ba21a0ce
それに加えて
・時間外手当(残業代)
・交通費
・出張手当
の支払い義務と、
ハラスメントが発生したら
会社が賠償金と慰謝料を支払う義務が
発生するんやで〜〜〜
#fedibird
QT: https://toot.blue/@nikitofu/112453700045537638 [参照]
ほんとにねー (๑°ㅁ°๑)
「冷笑系」とか「どっちもどっち論」ってさ、
「私は無党派です」
って振りして
実はめっちゃ強い党派制の発露なんだよね。
社会悪にすり寄るスネオ的ポジションは、
子供ならまだしも
大人がやると生々しすぎて
ほんとにねー (๑°ㅁ°๑)
> 人権問題を冷笑したり、「どっちもどっち論」で片付ける論法を目にしたら、そこには「アンチ人権」という強い党派制があると考えるのが妥当。それはファシズムの入り口。
#fedibird
QT: https://fedibird.com/@AkioHoshi/112466154651206791 [参照]
ほんとにさ、
毎日のように全国どっかで事故が起きて人が死んで、死ななくても怪我して人生を奪われてる。怪我しなくっても尊厳を奪われまくってる。
労働環境も家庭環境も学校や福祉の環境もそうだけど、誰もが使うはずの道路でこんなことが罷り通ってて、道路構造やルールだから仕方がないとより多くのひとが諦めているような気がして何よりしんどい。
交通戦争を機に巨大化した自動車と走る場所を奪われた自転車とネオリベの名の下に奪われた公共交通の現代において、自動車を持つことこそが人権みたいな意識のマジョリティによって交通マイノリティが搾取抑圧されてる。
移動手段は代替が可能で民族国籍性別性的指向とかのように変えられないものじゃないからこそ複雑だし、万人にわかりやすいものじゃない難しさがあるとはいえ自動車を持たない(持てない)人が損して危険を味わう社会は間違ってる。
自動車運転する人が危ないなっていう時はそれは殺しちゃうかもしれないだろっていう意味の危ないであって、命を奪われる側の言葉とは異なる。そんなのが溢れてる。だから本当の意味で路上からの目線で話す人が少ない。
多くのひとは歩行者にも自転車利用者にも自動車利用者にもなれる。だからこそ権威主義的パーソナリティとなると自動車目線になる。横断歩道のおかしさに気付けない。信号では止まれるのに信号のない横断歩道で止まれなくなる。平気で路上駐車し平気で歩行者ににじり寄り平気で自転車の真横スレスレを通ったりできる。
自転車やキックボードの規制厳罰化に賛同する。本当におかしい。
必要なのは自動車は一方通行にしてでも車線を減らして荷下ろし用のスペースも確保しつつ自転車専用レーンを作ること。歩道もしっかり作ること。
路外退出のために歩道に傾斜があるのもあれ完全に人権侵害。あの傾斜で車椅子やベビーカーや台車や歩行者が車道側に倒れたらどうすんだよと。
んで街にはそもそも自動車フリーな面積が必要。人と物の移動に一番邪魔になっている。人間スケールな街にするべきだし、自動車は救急や障がいなど必要な人にのみ提供され、かつ都市と都市を結ぶための移動手段であるべき。近所に買い物に行くのに自動車使うのは人権侵害なんだよ。
先週の
『THE FLINTSTONE』📻
「ひょんなことから、南極調査用の水中ロボットを作ることになってしまい、そんなつもりはまったくなかったのに、南極地域観測隊の隊員として、憧れの「しらせ」に乗って、南極へ行ってしまった工学博士」
後藤慎平さんのお話🇦🇶
面白かった♪
公式書き起こし↓
https://program.bayfm.co.jp/flint/2024/05/12/guest20240512/
radikoで今日中?くらいまで聴けるよ📻↓
http://radiko.jp/share/?t=20240512200000&sid=BAYFM78
@ryoko_ando 私が「つばさの党」関連のニュースで違和感を感じたのは「言論の自由」を盾にしていたことです。
言論の自由は、話者である自分だけでなく対話者、聴衆つまり社会を構成する人々が等しく有する「人権」であって、他者の言論の自由を抑圧して成立するものではないのですが、そういった「社会が経験的暗黙的に共有している規範」を逸脱することによって耳目を集める手法に味を占めてしまったのかもしれません。
本件の報道に関して、メディアも「彼らのいう『言論の自由』は話者が主張するだけの権利ではなく、社会に共有されるものでなければ成り立たない」
ということを同時に伝えるべきだと感じます。でないと若い世代の社会逸脱行為を包摂していくことは難しかろうと思います。
言論の自由ということについての議論は、「話者の権利」ばかりに注目されますが、対話者や社会で共有できる「自由な言論を受け取る権利」もあわせて議論すべきだと考えます。
「つばさの党」の映像を見た時に、異様な感じを覚えたのは、社会に対する強い敵意とコミュニケーションが遮断された一方的な様子だったのですが、新しいカルト的集団だと考えると、非常に納得ができます。
これまでもソーシャルメディア上では、「れいわ」に対してカルトだ、などというコメントも見られましたが、「れいわ」は社会を志向しているので、カルトには該当しないと思います。
これまでの言動を見る限り、つばさの党は、社会をまったく志向していない、社会と孤絶した、あるいは既存社会を敵視する別の論理で動いている、そういう意味でカルト的であると言ってよいと思います。
若い世代を社会が包摂しなければ、こういうことが起きるのは、自然の流れともいえるように思います。
山上にせよ、京アニ放火にせよ、そうした予兆は十分に出てきていたにもかかわらず、手を打たなかった為政者には大きな責任があると思います。
アテンションエコノミーの問題として捉えた記事ですが、集団生活を送っていたことから考えると、むしろ、新しいカルトの形態が立ち上がってきたと考える方が適している気がします。
この手のものは、表面化するのは氷山の一角なので、さらに多くのYouTubeなどを介在したミニカルト的な集団が存在するとが想定するのが妥当な気がします。
公共圏やセーフティネットが崩れつつある日本社会の状況を考えるに、今後もこうしたミニカルトは増えていくのではと思います。
日本社会が包摂してこなかった、つまり適切な居場所を得られなかった氷河期世代から若年世代がその中心になるように思います。
「支援者ら10人前後が幹部と集団生活しており、警視庁は活動の実態を調べる。」
つばさの党10人前後で集団生活 支援者が配信、運転 選挙妨害事件
https://www.asahi.com/articles/ASS5L2VHMS5LUTIL001M.html
お茶と手芸と音楽と
お昼寝 お散歩 ときどき短歌。
読書と園芸、防災備蓄。
音楽は、おもちゃっぽい ちゃかぽこした音が好きです。
ちょっとひと休み中。
【SARS-CoV-2ワクチン 7回 & インフルエンザワクチン で免疫力爆上げ済╭( ・ㅂ・)و ̑̑ 】