個人的に使用を控えたところで、世の中の方が商品のヒットや世論の形成なんかですでにSNSありきになってるから、何の影響も受けずに生きることは難しいよね。
どんなアレな人でも、等しいフォーマットでたいしたコストをかけずに発言できるSNSの仕組みがもたらしたことの影響は、良くも悪くもすごいことだ。
クソもミソも見かけ上は同じフォーマットに乗っかるので、必要以上に同等に扱われる中で、情報に飲まれないでいるのって大変。
人は意外と文章を読めていない。読んでいてもきちんと理解できているかどうかは別。目立つ言葉を拾って勝手に脳内で書かれていないことを組み上げて理解したことにしちゃう人、すごく多い。
どんなにクソみたいな(発言者本人ですら信じていないような)意見でも、なぜか一定数は肯定する人がわいてくる。
誤解の間を埋めるのは対話しかないけど、高いスキルと膨大なコストと最低限の誠実さが必要で、SNS上で衆人環視の中、そこまでやれる人はなかなかいないわけで。
こういう世の中では、どこかにひとつ安心して対話ができる場を確保しておくことが重要な気がします。
コミュニケーションと似て非なるSNSの党派性ゲームに飲まれて人間不信になるのはあまりに不幸すぎるので。