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上海のイギリス租界は、中国でもなくイギリスでもなかった。
既存の国家に帰属しない、いわば「自由都市」。同所は1845年、自由貿易を行う商人の便宜のために設置された居留地であり、住民たちは国家の干渉を嫌った。
イギリス租界は1863年にアメリカ租界と合併して共同租界となり、さらに自由都市としての性格を強めた。
20世紀に入ると、上海は戦争や革命から逃れる難民の逃避先となった。第2次世界大戦中、ナチス・ドイツから逃れるユダヤ人が上海を目指したのも、世界で唯一、ビザ無しで受け入れられる地だったから。

参考: 榎本泰子『上海――多国籍都市の百年』

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