仙術の修行は年月を要すること。
列子は老商氏を師とし、伯高子を友として、この二人の道をきわめ、風に乗って帰ってきた。それを聞いた尹生という者が列子に弟子入りし、風に乗る術を教えてくれるよう数カ月のあいだに十遍も頼んだが、教えてもらえない。――という話が『列子』黄帝篇にある。
列子を恨んで家に帰った尹生だったが、再び弟子入りして教えを請うた。
すると列子は次のように言った。
自分は老商氏と伯高子に学んで3年後、心に是非を思わず、口に利害を言わなくなって、はじめて師がちらっとこちらを向いてくれた。そして5年後にはかくかくのことがあって、ようやく師はにっこりされ、さらに7年後、こうこうのわけで師の部屋で同席することを許された。
9年たって、考えたいように考え、言いたいように言っても、その是・非、損・得は気にならず、師が師であるとか、友が友であるとかも気にならず、内・外、自・他を区別する意識もなくなった。
かくてはじめて、木の葉が風に舞うように東西することができるようになった。今や、自分が風に乗っているのか、風が自分に乗っているのかも知らない、と。
以後、尹生は二度とそのことを口にしなくなった。
列子が空を飛んだことは『荘子』にもある。
曰く、《列子は風に御して行き、冷然として善し。旬有五日にして而る後にかえる。》――『荘子』逍遥遊篇
「冷然」は軽やかの意という。
「旬有五日」は15日。福永光司によると、15日は1年360日を「二十四気」で割った数、すなわち「一気」の期間であり、中国古代の気象学では、天候は一気ごとに変化するとされるから、「旬有五日にしてかえる」とは、15日で風が変わり地上に舞いもどってくるの意となる。
列子の飛翔は風に依存しており、まだ自由自在の境地には達していない、というのが『荘子』の列子評。
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