薄影が影にたずねた。
薄影とは影のまわりのぼんやりした影のこと。
その薄影が影に問うには、
「お前さんはさっきは歩いていたのに今は止まり、さっきは座っていたのに今は立っている。なんと節操のないことか」
すると、影がこたえて、
「おれは何かに頼ってこうしているらしい」
その何かとは人間の身体。人が歩けばその影も歩き、人が止まればその影も止まる。
つまり影は人に依存している。
続けて影はいう。
「おれが頼ってる何かも、また別の何かを頼ってそうしてるらしい。ということは、おれはヘビの皮やセミの抜けがらに頼ってるのか。どうしてそうなるのかも、そうならないのかも知らないが」

罔兩問景曰:「曩子行,今子止﹔曩子坐,今子起。何其无特操與?」
景曰:「吾有待而然者邪?吾所待又有待而然者邪?吾待蛇蚹蜩翼邪?惡識所以然!惡識所以不然!」
ja.wikisource.org/wiki/荘子/齊物論

《パリには、私の好きなホテルがいくつもある。
中でも、かつてヘンリー・ミラーが愛したクリシーの安宿のベッドが印象に残っている。
娼婦と行きずりの男が、一夜だけの愛をかわした記念に、
イニシアルを彫りこんだり、拷問具をくくりつけたり、枕の下に拳銃をかくしたりした、無頼漢の思い出の残るベッド。
そして一人旅の長い夜をもてあまして、とうとう一睡もせずに、
シムノンのメグレ警部ものを読みあかしてしまったベッド。
東洋人の双生児の姉妹が心中した、といういわくつきのベッド。
ベッドの一台ずつに人生のドラマが沁みついている安宿で…》――寺山修司『幻想図書館』

自分の書くものに少なくとも一つ嘘を混ぜ込んでおく。
そういう習慣はどうだろう。
そうしておけば、
資料とか、論理とか、かならずしも本質的でないことに気を使わなくてすむ。

役者は黒子に操られている。
劇の最終盤、役者が反撃して黒子を叩きのめす。
黒子の衣装をはぎ取ると、それもじつは天井桟敷の俳優。では、その俳優を操っているのは何者か。
それは言葉よ、と新高恵子。
では、その言葉を操っていたのは誰なのか。
その答を新高が続ける。

《それは、作者よ。そして、作者を操っていたのは、夕暮の憂鬱だの、遠い国の戦争だの、一服のたばこの煙よ。そして、その夕暮の憂鬱だの、遠い国の戦争だの、一服のたばこの煙だのを操っていたのは、時の流れ。時の流れを操っていたのは、糸まき、歴史。いいえ、操っていたものの一番後にあるものを見る事なんか誰にも出来ない。》――寺山修司『邪宗門』

『荘子』齊物論篇にある影と薄影の対話を思わせる。
fedibird.com/@mataji/111467887

[参照]

公演が終わってロビーに出てきた寺山を一人のオランダ婦人が待っていた。
「ハンスは今どうしてるのでしょう」
ハンスは婦人の夫で、地元の郵便配達夫。
夫婦は3年前、天井桟敷の『邪宗門』を見にいった。劇がはじまって間もなく、黒衣の男が客席に降りてきて、ハンスを無理やりステージに引き上げた。夫がステージの上で化粧され、衣裳を着せられ、劇中の人物となって多少の演技をしたのを婦人はおぼえている。楽しそうだったという。その日、ハンスは家に帰らず、3年たった今ももどっていない。ハンスは今どうしてるのでしょう。

この出来事を枕に寺山は長文の演劇論を開始する。
私は虚構と現実の混在のなかで人間性の回復を図りたい、なぜなら――

《想像上の体験はしばしば現実生活の同義語であり、現実生活は、気がついたとき想像によって支配されていたりする。この両者は定義づけられて区別されるよりも前に、相互的に運動しながら、私たちの生活そのものの二輪の車となっており、ドラマツルギーは両者の区別が提起するものの本質にではなく、その両者が混在し、区別不可能化している事実の上にこそ、うちたてられるべきだからである。》――寺山修司「なぜ演劇なのか、呪術なのか」

ハンスを返してください。
婦人はそう寺山に求めたが、寺山にはおぼえがない。劇団員にきいても、誰もハンスという中年のオランダ人を知らなかった。
何が起きたのか。ハンスはどこへ行ったのか。

夫は劇のなかにいる、と婦人は思っている。
その「劇」とは、劇団「天井桟敷」のことなのか、それとも『邪宗門』の世界のことなのか。
前者なら、夫ハンスは劇団員として在籍しているか、少なくともある期間在籍したはずである。後者なら、ハンスは『邪宗門』という虚構の世界に消えたことになる。

寺山は次のように書いている。
《そのどこまでが劇で、どこからが現実だったのかを論じることは、この場合には無意味であろう。
少なくとも「ハンスが劇のなかへ消えていったこと」と、「ハンスが劇のなかから消えていったこと」とは、ほとんど同じことのように思われるからである。》
虚実の弁別は無意味としながら、ハンスが虚の世界に消えたことを以後の論の前提にしようとしているかに見える。

実の世界にいた人が虚の世界へ。そんなことが起こりうると思わせる話術は、どのようにしたら可能か。

ハンスが郵便配達人だったこと。
なぜ郵便配達なのか。

カフカの『変身』で虫に変わってしまったザムザは布地の出張販売人。話を読むと、律儀な人物だったらしく思われる。
マルセル・エイメ「壁抜け男」のデュチユールは登記庁の下級役人で、34歳、独身。これも律儀・生真面目な人物。
どちらかというと凡庸で生真面目な人物が、ありそうもない奇妙な運に見舞われる。ことによると郵便配達人のハンスも、ザムザやデュチユールの後身として寺山の世界に呼び出された人物ではないのか。

寺山がエッセイのなかに虚構を混ぜ込んだ例は、前にひとつ出しておいた。
fedibird.com/@mataji/111532519

ハンスは寺山のつくった架空の人物。そう考えると、ハンスの行方に関する謎は容易に解ける。もともとハンスは存在しなかったのである。存在しなかったのだから、どこへ消えてしまおうと不思議はない。

[参照]

「三年前――私たちの劇の中で蒸発した一人の中年の郵便配達夫」と寺山の前ふりにあり。
以降の論の前提として事実のように書いているが、郵便配達夫ハンスの存在と彼の身に起きたことが、寺山の創作であるのは間違いない。客席にいた実在の人物が劇中という虚構の空間に消えてしまうことなどありえないのだから。

論文の冒頭に架空のサンプル――今の場合はハンス夫婦の存在と彼らの行為――を置くことの有効性。
自分の論に都合のいいサンプルを最初に出しておくから、その時点で見破られなければ、しばらく――または、いつまでも――論理の一貫性が保てる。
あとになって読者が疑念をもったとしても、すでに手遅れ。政治の世界なら、すでに政策は実行されたあと。

歴史の先取りとでもいうか。
最初の嘘で読者の認識をしばっておいて、自分だけ先へ。

アムステルダムで『邪宗門』を見に来て黒衣に客席から舞台に引き上げられ、その後行方不明になった郵便配達夫ハンス。この人物の存在は寺山のフィクションだが、ベルリンの『邪宗門』公演で劇団員ともめた評論家ローランド・H・ヴィーゲンシュタイン(以下では RHW と略)は実在の人物らしい。

Wikipedia にあるこの人物が RHW 氏なら、今も100歳近くで存命か。
de.wikipedia.org/wiki/Roland_H

夫人をともなって『邪宗門』の初日にやってきた RHW は、評論家の席が用意されていないのに苛立って劇場側に抗議したが、けっきょく客席の最後列で立って見ることに。
観客が入り終わるとドアは閉じられ、密室化されて劇がはじまる。黒衣によって観客が(かのハンスと同様に)暴力的にステージに連れ去られ、衣裳を着せられるなどの場面も織り込んで劇が進むが、劇の中盤で RHW が夫人の手を引いて外へ出ようとしたところを黒衣に出口をふさがれる。
RHW は大声で抗議したが黒衣は立ち退かず、黒衣を突きとばそうとした夫人は逆に黒衣によって突きとばされる。

この一件は複数の地元紙がセンセーショナルに報じたのに加え、「シュピーゲル」誌も大きく取り上げ、寺山は RHW に公開討論を申し入れた。

黒子(劇団員)が評論家 RHW 夫妻の退出を妨げたこと。
RHW の妻が黒子を突き飛ばそうとし、逆に突き飛ばされたこと。
これらに類する暴力行為はヨーロッパでの『邪宗門』の公演中、いくつかの都市で起き、ユーゴのノビサド市では流血に及んだという。
寺山はこれらの事件について、ただの事故や過失ではなく、「起こるべくして起こったこと」とした。すなわち必然だった、と。実際、戯曲上でも『邪宗門』の舞台は次のように動き出す。

《ときどき、影のように黒子の群れが客席を駆け抜けてゆく。血なまぐさい匂いが、潮のようにおしよせる。咆哮している黒子の群れ。ふいに観客の一人を名指しておそいかかるや、日本刀、一閃される。ひきずられた観客のおどろきと悲鳴。
まだ何も見えない暗黒の中に、黒子たちが何かを作りつつある気配。引きずりあげられた観客はこの劇の衣裳を着せられて、「登場人物」に仕立て上げられてゆく。
黒子の群れが、「劇」を準備し、「虚構」を作りあげてゆくあいだ、燃えさかっているかがり火。十字架には緋襦袢の妊み女が、磔刑にされて、半裸の黒髪を乱している。照明の明りが少しずつ、月光に変ってゆき、劇をこわそうとする観客や開幕をはばむ観客と黒子のあいだに乱闘があちこちで起されている。》

フォロー

『邪宗門』の上演で、暴力を伴うもめごとが起こることを寺山は予想していた。というより、期待していたろう。そして実際にも起こった。
寺山によると、西独の「シュピーゲル」誌、同じく演劇誌の「テアター・ホイテ」誌、ニューヨークの「ザ・ドラマ・レビュー」誌、ロンドンの「プレイ・アンド・プレイヤーズ」誌などは、上演で起きた「劇場の中の暴力」をアントナン・アルトーの演劇論の実践として評価し、この劇の呪術効果と政治的背景を分析するなどしたが、西独の夕刊紙「ビルト」などは、「観客に触れる演劇」として激しく非難した。

※言及先記事で引用した『邪宗門』は角川文庫『戯曲 青森県のせむし男』(1976年)所収。観客と劇団員の乱闘がト書きで書き込まれているが、この版は凱旋公演時のものらしく、ヨーロッパ公演の前から同様だったかは不明。

戯曲『邪宗門』冒頭のト書き。再掲。

《ときどき、影のように黒子の群れが客席を駆け抜けてゆく。血なまぐさい匂いが、潮のようにおしよせる。咆哮している黒子の群れ。ふいに観客の一人を名指しておそいかかるや、日本刀、一閃される。ひきずられた観客のおどろきと悲鳴。 まだ何も見えない暗黒の中に、黒子たちが何かを作りつつある気配。引きずりあげられた観客はこの劇の衣裳を着せられて、「登場人物」に仕立て上げられてゆく。 黒子の群れが、「劇」を準備し、「虚構」を作りあげてゆくあいだ、燃えさかっているかがり火。十字架には緋襦袢の妊み女が、磔刑にされて、半裸の黒髪を乱している。照明の明りが少しずつ、月光に変ってゆき、劇をこわそうとする観客や開幕をはばむ観客と黒子のあいだに乱闘があちこちで起されている。》

この版の『邪宗門』(角川文庫『青森県のせむし男』所収)は、渋谷公会堂での凱旋公演(1972年)にあわせて書かれている。
天井桟敷は『邪宗門』を前年の1971年にヨーロッパで初演。100回をこえた各地での公演のあいだに、たびたび観客と劇団員のもめごとが起き、ユーゴでは流血に至ったという。上に引いたト書きは、それらのトラブルこそ公演が狙ったものとする観点からどぎつく書き改められたものではないか。

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