薄影が影にたずねた。
薄影とは影のまわりのぼんやりした影のこと。
その薄影が影に問うには、
「お前さんはさっきは歩いていたのに今は止まり、さっきは座っていたのに今は立っている。なんと節操のないことか」
すると、影がこたえて、
「おれは何かに頼ってこうしているらしい」
その何かとは人間の身体。人が歩けばその影も歩き、人が止まればその影も止まる。
つまり影は人に依存している。
続けて影はいう。
「おれが頼ってる何かも、また別の何かを頼ってそうしてるらしい。ということは、おれはヘビの皮やセミの抜けがらに頼ってるのか。どうしてそうなるのかも、そうならないのかも知らないが」

罔兩問景曰:「曩子行,今子止﹔曩子坐,今子起。何其无特操與?」
景曰:「吾有待而然者邪?吾所待又有待而然者邪?吾待蛇蚹蜩翼邪?惡識所以然!惡識所以不然!」
ja.wikisource.org/wiki/荘子/齊物論

役者は黒子に操られている。
劇の最終盤、役者が反撃して黒子を叩きのめす。
黒子の衣装をはぎ取ると、それもじつは天井桟敷の俳優。では、その俳優を操っているのは何者か。
それは言葉よ、と新高恵子。
では、その言葉を操っていたのは誰なのか。
その答を新高が続ける。

《それは、作者よ。そして、作者を操っていたのは、夕暮の憂鬱だの、遠い国の戦争だの、一服のたばこの煙よ。そして、その夕暮の憂鬱だの、遠い国の戦争だの、一服のたばこの煙だのを操っていたのは、時の流れ。時の流れを操っていたのは、糸まき、歴史。いいえ、操っていたものの一番後にあるものを見る事なんか誰にも出来ない。》――寺山修司『邪宗門』

『荘子』齊物論篇にある影と薄影の対話を思わせる。
fedibird.com/@mataji/111467887

[参照]

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《こんにちは! おれ角兵衛獅子です。生まれて父の名を知らず、恋しい母の名も知らず。おれ、とんぼがえりがとても上手いってことになってるけど、ほんとは、この黒子のおじさんの手品なんです。おじさんが糸をするするっとのばすと、おれは走り出し、糸をしめられると立ちどまり、たぐりよせられるととんぼがえり。赤い夕陽に染められた、おさな地獄の七草の、お墓のなかの、かくれんぼ。目かくしした手をパッとはずして見たらば、黒子のおじさんたちが集まって、家族あわせをやっていました。》――寺山修司『邪宗門』

自由意志はないが、自由。そういう一見矛盾した存在が人間。
この矛盾は解けるのか解けないのか、解ける気もするが解けないようでもある。解けても解けなくても、人は自由。そう考えておいて、たぶん間違いない。
現に、この角兵衛獅子はいかにも自由そう。

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