とはいえ、『私説聊斎志異』は私小説ではないだろう。少なくとも、自身の現実を材料にはしていても、それをありのままに書いて売り物にするといった態のものではない。
「私」が小説を書くために寺にこもったとあるのも、安岡側の事実かは不明。その実否よりも、寺にこもった期間が2カ月とされているのがおもしろい。この期間は、『聊斎志異』の一話「労山道士」で王という人物が山にこもった時間に相当する。
若いころから仙術にあこがれていた王は、労山に仙人をたずねて弟子入りするが、山に薪取りに行かされるばかりで、いつまでたっても術を教えてもらえない。とうとうねをあげて労山を退去することになるが、この修行期間が2カ月なのである。
去るにあたって王は、数百里の道をやってきて何ひとつ覚えられずに終わるのは悔しい、せめて一番簡単な術でいいから何か教えてもらえないかと仙人に頼む。仙人は承知して壁抜けの術を王に授けるが、帰宅した王が人々の前で術を披露しようとしたところ、壁にぶち当たって王は昏倒――というのがこの一話の結末。
仙術の修行は年月を要すること。
列子は老商氏を師とし、伯高子を友として、この二人の道をきわめ、風に乗って帰ってきた。それを聞いた尹生という者が列子に弟子入りし、風に乗る術を教えてくれるよう数カ月のあいだに十遍も頼んだが、教えてもらえない。――という話が『列子』黄帝篇にある。
列子を恨んで家に帰った尹生だったが、再び弟子入りして教えを請うた。
すると列子は次のように言った。
自分は老商氏と伯高子に学んで3年後、心に是非を思わず、口に利害を言わなくなって、はじめて師がちらっとこちらを向いてくれた。そして5年後にはかくかくのことがあって、ようやく師はにっこりされ、さらに7年後、こうこうのわけで師の部屋で同席することを許された。
9年たって、考えたいように考え、言いたいように言っても、その是・非、損・得は気にならず、師が師であるとか、友が友であるとかも気にならず、内・外、自・他を区別する意識もなくなった。
かくてはじめて、木の葉が風に舞うように東西することができるようになった。今や、自分が風に乗っているのか、風が自分に乗っているのかも知らない、と。
以後、尹生は二度とそのことを口にしなくなった。
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