映画『オッペンハイマー』の感想
だから彼は幻影を見るのだが、日本に原爆投下後の人々の熱狂の中で目の前の幻影に恐れながらもスピーチし、「ドイツに投下できなくて残念でしたが・・・」みたいな事を言ったのには、私は個人的に驚いた。もちろんユダヤ人であるし、ナチスは世界の敵であったし、この時は普通の発言かも知れないが。
ユダヤ人のオッペンハイマーは被害を受けた日本の人々には思いを馳せ、罪悪感を感じた。しかし、もしかしてそれがドイツ相手であったら、ここまでの罪悪感はなかったのか?どうなのか?
命を奪うものとして原爆は恐ろしいものである、そんなものを作ってしまった、という罪悪感を表現するのなら、相手によって罪悪感の度合いが変わるかもしれない、と想像させるようなセリフにどんな意味があるのだろう?ユダヤ人としての現実?当時の一般的な国際世論?単に当時のアメリカでは普通な言説?
何にせよ、こういう部分に引っかかりつつも、その他に衝撃的だったのは、これほど科学と国に貢献した人物であっても共産主義者の嫌疑をかけられたら、完全に失墜してしまうという「赤狩り」の事実で、これは現在の日本でも政府が大喜びで使えそうな話である。
なのに、何故か日本では公開されないという。
映画『オッペンハイマー』の感想
やはりXで鍵垢先生が言ってらしたように、『オッペンハイマー』を公開すると世論が日本での原爆開発を邪魔するようになるだろう、という考えで誰かが止めているように見える。原爆開発どころか原発廃止の世論も再燃する可能性もある。この映画が日本で公開されないのはきっと、原爆の話に日本人が耐えられない、などというお涙頂戴の情緒的理由ではなくて、冷徹な政治的理由で、「彼ら」の邪魔になると判断されたからなのではないか。