映画『オッペンハイマー』の感想
オッペンハイマーの生涯についてもオッペンハイマー自身についても全然詳しくないのだが、映画を観た事だけで感想を言うなら、(あの映画の中では)オッペンハイマーは原爆を作るのに成功してしまった事で大きな罪の意識を持った、のだと思う。それは実験成功後のスピーチ中に聴衆が彼の目には被爆者の姿となるところなどで表現されている。破壊された人達の幻影を見ることで彼の罪悪感と後悔、また苦悩がわかる。科学者として理論が現実に形を持って証明される事、科学の進歩に喜びと情熱を持っていた。だから請われるまま極秘計画を指揮した。原爆作成の成功は科学の成功と彼の理論、政治的な成功でもあったはずだった。だが、それが現実化する直前に、原爆そのものが人類、生命を破壊するものだと本当の意味で気づいた。
映画『オッペンハイマー』の感想
だから彼は幻影を見るのだが、日本に原爆投下後の人々の熱狂の中で目の前の幻影に恐れながらもスピーチし、「ドイツに投下できなくて残念でしたが・・・」みたいな事を言ったのには、私は個人的に驚いた。もちろんユダヤ人であるし、ナチスは世界の敵であったし、この時は普通の発言かも知れないが。
ユダヤ人のオッペンハイマーは被害を受けた日本の人々には思いを馳せ、罪悪感を感じた。しかし、もしかしてそれがドイツ相手であったら、ここまでの罪悪感はなかったのか?どうなのか?
命を奪うものとして原爆は恐ろしいものである、そんなものを作ってしまった、という罪悪感を表現するのなら、相手によって罪悪感の度合いが変わるかもしれない、と想像させるようなセリフにどんな意味があるのだろう?ユダヤ人としての現実?当時の一般的な国際世論?単に当時のアメリカでは普通な言説?
何にせよ、こういう部分に引っかかりつつも、その他に衝撃的だったのは、これほど科学と国に貢献した人物であっても共産主義者の嫌疑をかけられたら、完全に失墜してしまうという「赤狩り」の事実で、これは現在の日本でも政府が大喜びで使えそうな話である。
なのに、何故か日本では公開されないという。