帝国主義(含むWWII)の時代のその後のあれこれについては、ドイツ(西ドイツ)の採った方針がとにかくまともだったと思う。知れば知るほどそう思う。今に至って特にそう思う。ポエムと言われるかも知れないけど、彼らは国家として大きな罪の苦しみに真正面から対峙しようとした。島国ではなかったからかも知れないし、他の理由からそうなったのかも知れない。しかし日本でもあの〝ホロコースト〟に匹敵するなにかが無かったなどと一体どう考えれば言えるんでしょうかね
ハノイの歴史博物館に行ったら「Japanese fascist army」というキャプションが日本軍の資料につけられていた(むべなるかな)。亜細亜を解放するだなんてプロパガンダを容易く信じたアホで哀しき祖先を持つ我々。祖先といってもおじいちゃんおばあちゃん、ひいおじいちゃんひいおばあちゃんといった、目に見える世代の話ですよ
個々たる彼等がどうだったとかいう気はないけど、ここはひとつ〝わたしたち〟のこととして、あれこれ考え反省したいなというのが一小市民の思いです
卑屈なのはいやだな
そのうえでアップデートしていきたい
世界の仲間に堂々と入っていける日が来て欲しい
仕事の都合でドイツのフランクフルトに20年近く毎年通った。マイン川沿いの気持ち良い立地に「Jewish Museum(ユダヤ博物館)」の、そんなに大きくはないけれども美しく立派な建物がある。ちょうどあのシュテーデル美術館の対岸のあたり
一目見て、ああ、これはここになければならないんだな、とそう思いドイツの人達は立派だなと感じた
東京に目を移せば、そのようなものは何ひとつ目につかない
「東京大空襲・戦災資料センター」でさえ雑多な街の景色に紛れ、しかも細々運営されていて展示物にも乏しく、つまりまったく〝我が事〟という感じがしない(それがオーソリティの態度だからどうしようもない)
消費経済とともに歩む日本のPOPカルチャーも、まあいいんじゃないですか(しらんけど)? でもPOPオンリーのPOPなど存在し得ないですからね
小手先だけのあれこれでは物事と対峙できず、せいぜい自分にとっての個人的で小さなチャレンジでおしまい(自己満ガンバレ!)
対話できる人々でありたい
もちろん吞んで、やや酔ってます 3:45AM 仕事上がり