(続き)→ 6月22〜23日にかけ、牛島中将ら日本軍の司令官達が自決。
しかし彼らは「降伏」をせず、残る兵士に徹底抗戦を指示。
結果、泥沼のゲリラ戦に移行し、敗残兵による住民への暴行・食糧強奪・スパイ視による殺害などが起こります。
国頭では10月2日まで抵抗し続けた部隊も。
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沖縄では住民も現地徴用され陣地建設などに協力、そのため軍の内情を知る事となり、住民や負傷兵が捕虜になれば情報が敵に漏れると危惧した軍は「捕虜になるな、自決せよ」と強要。
投降しようとした住民に日本兵が発砲するなど、住民は日米両軍から追われ、6.23以降も混迷と惨劇が続いたのです。