「慰霊の日」の今日6月23日は、沖縄戦で日本軍の”組織的戦闘”が終わった日。こちら『沖縄戦新聞』(2005刊)は、当時の出来事を現代の資料を元に記事化した新聞で、この日の見出しは「沖縄戦事実上の終結」。しかし沖縄ではその後も凄惨な”非組織的”戦闘が続き、8月15日を過ぎてなお死傷者が。(続く)→#沖縄戦新聞 #琉球新報社 #沖縄戦 #沖縄本#まめ書房 #mameshobobooks
(続き)→ 6月22〜23日にかけ、牛島中将ら日本軍の司令官達が自決。しかし彼らは「降伏」をせず、残る兵士に徹底抗戦を指示。結果、泥沼のゲリラ戦に移行し、敗残兵による住民への暴行・食糧強奪・スパイ視による殺害などが起こります。国頭では10月2日まで抵抗し続けた部隊も。*沖縄では住民も現地徴用され陣地建設などに協力、そのため軍の内情を知る事となり、住民や負傷兵が捕虜になれば情報が敵に漏れると危惧した軍は「捕虜になるな、自決せよ」と強要。投降しようとした住民に日本兵が発砲するなど、住民は日米両軍から追われ、6.23以降も混迷と惨劇が続いたのです。
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(続き)→ 6月22〜23日にかけ、牛島中将ら日本軍の司令官達が自決。
しかし彼らは「降伏」をせず、残る兵士に徹底抗戦を指示。
結果、泥沼のゲリラ戦に移行し、敗残兵による住民への暴行・食糧強奪・スパイ視による殺害などが起こります。
国頭では10月2日まで抵抗し続けた部隊も。
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沖縄では住民も現地徴用され陣地建設などに協力、そのため軍の内情を知る事となり、住民や負傷兵が捕虜になれば情報が敵に漏れると危惧した軍は「捕虜になるな、自決せよ」と強要。
投降しようとした住民に日本兵が発砲するなど、住民は日米両軍から追われ、6.23以降も混迷と惨劇が続いたのです。