79年前の今日・1945年5月5日は、沖縄戦で日本軍の総攻撃が失敗した日。
4日〜5日にかけ、浦添や西原での大規模な戦闘で日本兵約5,000人が戦死。
こちら『沖縄戦新聞』(2005刊)は、当時の出来事を現代の視点と新たな資料に基づき記事化した新聞。
第9号で、この時の凄惨な戦況を報じています。
(続く)→

(続き)→ 軍命で北部への避難を禁じられた中南部の住民も、日本軍による食料強奪や避難壕からの追い出しに遭い、死傷者が拡大。
また軍は「民間人に偽装して米軍を襲え」とも指示、そのため当初住民は殺さず捕虜にする方針だった米軍側も、住民を射撃するように。
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日本軍は本土決戦まで時間を稼ぐため、敗北を承知で持久戦を継続。
住民の被害も止まず、浦添や西原では住民の約5割が死亡、後の南風原町など8割が死んだ地域も。
米軍が撮った写真には、傷ついた幼児や少年・少女兵らの悲惨な姿が。
大人の思惑で子どもさえ地獄に放り込んだ、それが沖縄戦です。 [添付: 5 枚の画像]

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(続き)→ 様々な記事で、米軍統治により沖縄の産業が発展し、住民の生活が向上したと強調。
「エミ子の日」と題する記事では、架空の人物・エミ子が米陸軍大尉夫妻の家でメイドとして住み込みで働く様子を”充実感・幸福感”いっぱいに描くなど、沖縄の人々の米軍観や価値観までも操作する意図が見えます。
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また文中「沖縄」ではなく「琉球」との表記が多いのも、日本の「沖縄県民」ではなくかつての「琉球国人」というアイデンティティを人々に持たせ、日本への帰属意識を削ぐのが狙い。
今年の新刊『「守礼の光」が見た琉球』も併読すれば、硬軟織り交ぜた米軍統治の生々しい実態が見えてくるでしょう。

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