「ニッポンのミソジニー」感想続き
ぺけったーで時々話題になる「弱者男性」の話題も取り扱われていた。要約すると「弱者男性に女をあてがえという論は、女を所有することで男になりたい男性に好まれる。男のアイデンティティとは、女に支えてもらわなければあっけなく崩れてしまうほどの脆いものらしい。弱者男性論そのものにミソジニーを煽る効果がある」……議論は13年前に終わっていたのだ。びっくりだ(4章「非モテ」のミソジニー)
韓国でも広く読まれたらしい。そういえば、NHKのニュースになっていたのを見た気がする。韓国の読者には10代、20代の若い世代が多いのだという。日本では「フェミニスト」「フェミニズム」は、性の賞味期限が切れたうるさいオバサンがなんかわめいてるわ~程度の認識でいるけれど、本当は、男性が男性である苦しみからも解放するための理論であり実践だってことが、もっと知られて欲しい、とおもう。
「ニッポンのミソジニー」感想続き・3
感想というかなんというか。
私は昔から殆ど胸部に起伏がないくせに尻がでかく足も太いため幼児が大人サイズになって歩いてるみたいな体形しており、大学の頃部活の先輩達に「あいつじゃ勃たない」と言われていた。小中高と「こいつだけはアリエナイ」みたいな目で見られ続けたし、親からも「どうしてあんたは(妹にはできるのに)愛想よくできないの」みたいな扱いだった。あとこれは元々の性格もあっただろうけど、服や化粧にも気を遣わなかったので余計にそういう扱いだった。何もかもが億劫だったので葉っぱ一枚あればいい社会に行きたいとずっと思っていた。
連中にあんなことを言われる筋合いは無かったと今なら思える。殴ればよかった。何なら今からでもぶん殴りたい。殴らせろ馬鹿野郎。
ああいう品定めの目線って全部、この社会が「男の欲望」で満たされていて、その中で生きてたからだったんだな。
もう十年以上前のことだけれど、そんなふうに言語化されたことがとてもうれしい。
「ニッポンのミソジニー」感想続き・2
>女を所有することで男になりたい
誤解を招く表現なので補足すると、「女を所有すること=男になること」なのではなく、女を所有することで「あいつは男になった」と他の男たちから認めてもらうことが重視される、それがホモソーシャル。
そのため、男性の性的主体性をゆるがしうる同性愛(自分も「ホられる側」になるかもしれない!)は受け入れがたく厳しく排斥されるし、自分の性欲を刺激する女性しか「女」と認めない。