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David Rokeby の論考『The Construction of Experience: Interface as Content (1998)』より和訳抜粋。私は修士論文で「体験者個人の行動の複雑性により対応できるようにするのが、作品への自発的な参加を促す重要な要素の一つ」という論じ方をしていたので、深く反省しないといけない…
というかその頃もこの論考読んだはずだが?節穴か?

「[インタラクティブなシステムがユーザーの知覚を完全に制御することが可能になるほどに監視するレベルに達すると] それは事実上ユーザーの主体性を支配し、固有のアイデンティティを奪い、システムによって完全に媒介された、高度に焦点化された視点に置き換えてしまう。主体性は、合成された主観的視点に取って代わられたのである。システムがインタラクターに反応するという事実は、システムがユーザーに対して責任を持っていることを保証するものではない。インタラクターはかなり容易に、反射を超えて本能の端に追いやられ、システムの刺激に対して直感的な反応しかできなくなる。ユーザーはシステムの行動を映す鏡となり、システムがユーザーを映す鏡であることはなくなるのである。」

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