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ブラームスのヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲を分析中。
この第1楽章、ソロが二人もいるのになんだか物足りないなぁと思っていたのだけど、その理由がわかった。
対位法的な絡み方をしていない。対位法的というのはざっくり言うと、互いに独立したメロディが重なることで豊かな和音やリズムを作っている状態のことなのだけど、これがない。
つまり、この二人のソロ楽器は「互いに独立していない」、ほとんど常に一人のソロであるかのように書かれている。

一説では、仲違いをしてしまった二人 (ブラームスと友人ヨアヒム、またはヨアヒムとその妻という説がある) の和解を象徴しようという意図があったと言われているのだけど…
互いに境界が無くなるほどに一つになっている表し方をされていると考えると、奇妙な危うさが見えてきてしまうな。

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