情報 (言葉や芸術作品等を含めた大きい意味での) が人によって発信されているのかそうでないのかはおそらく明確に区別すべきで、なぜなら人がその情報を発信しているということには多かれ少なかれ何らかの意図があるからであり、人が発しているにも関わらずその人自身の存在を無視するようなことがあれば、それはコミュニケーションを誤る原因になる。
人が情報を発するということ自体が、情報の発信者であるその人と、情報の受信者である他者との間のコミュニケーションになる。
となれば、人でないもの (ここでは AI と言って良いと思う) が発信した情報は、そのきっかけが人であるとしてもその意図からはある程度切り離せるはずで、そういう状態にあってはじめて受信者はその情報とのある種純粋なインタラクティブが可能になり、発信者の意図に左右されない受信者自身の感じ方やバイアスに注目できるようになるのでは。

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