同じ男性作家の少女漫画でも、和田先生の方がもう少しその辺は気を遣ってた気がする。和田先生もレイプ場面はそりゃもう沢山入ってたけども少女漫画で活躍し続けた和田先生と青年誌に転身された柴田先生の作家性の違いかな。青年誌の柴田先生はさすがにエログロきつくてリアル少女だった身にはついていけなかったもんな…
漫画はやっぱなんだかんだで面白いから読んじゃうんだけど。当時の最先端ネタ色々盛り込んでテンポもさくさく。今見ても絵が背景込みで好きだし、女子キャラ可愛いし、アクションかっこいいし、男子も腰がっしり胸板がっしり手足長しでカッコいいし。多分私が男子キャラの腰がっしり具合に注目するのは柴田先生の刷り込みある。バードとイワンの骨盤とケツの形がかっこいくてですね…
バードが恋愛感情としてソネット選んだっていうよりかは、どうせバッテリー貰ったって先が短いわけで、じゃあせめて同じ境遇のソネットの心を救おう、的な気持ちだよね?でもあの結果はつまりソネットの気持ちに応えてることになるわけじゃん
だってあれ、ランが制御できるようになったのバード見届けてなくない?ええんかそこで死んで。自分がやらないと、てのはどうなってたんだ?結局のところ、ランのその後 < ソネットの救済になっちゃったのよね?(てツッコミに備えるためにイワンに「あとよろ」してたのかもだけどさあ!)
奈留のビッグ・ラブの方が最強で、「俺が殺してやらんと」と思い詰めてたバードがお役御免になったのはまあいいけど、せめてそこを見届けてからにしない?てやっぱし今でも思うな~~~
バードはもう先が短いのは既定路線なのはわかってるから、超長寿だろうランが超古代の血を制御できるようになって、それを見届けたバードが生身だった頃の自分の気持ちに還って、残り僅かな数分の時間をランに看取られるエンド、て流れを信じて読んでたんだけど、結局、サイボーグとESPじゃなく、サイボーグはサイボーグ同士でどうぞ~て結末に見えちゃうじゃん。同族は同族同士、みたいな。
その辺がな~~~???境遇近くて共感がある者同士で…て結論がどうも。
それにつけても、やっぱりラストは、なんというか。桐生とワタルとユリはああならなくていいだろ???他も死にすぎだろ????つかあっけなさすぎでは??と思うけど、そこはまああの頃は登場人物全滅の作品ゴロゴロしてたので、まあそこは…
今読むと理屈ではそう畳むのは分かるし思ったよりちゃんと筋は通ってるとは思ったんだけども。
ただまあ、なんとうか、やっぱり~~~~~やっぱり私は、色恋関係は最初にご用意されたゴールに向かって欲しい人なんだよな~~~~!!!!最初に提示された相思相愛(相思相愛未満含む)の二人がいたら、その二人が何らかの形で結ばれるゴールへの道程を見ようとするから、別のゴールがご用意されてソチラ選択しました、てのは「いやいやいや、線路切り替えすんなや!」てなっちゃう。朴念仁だから恋愛の機微が云々は面倒くさくて真面目に追えないせいなんだけど
いや、筋は通ってるしあの結末へのご用意も事前にされてましたよ、バードとランが再会してからのすれ違い感も描写されてたし、バードの親父さんの話もさあ。いや全然あれは当時も共感できなかったけど。