ある人が、自らが受けた社会的不利益に対する、合理的配慮を訴えていることに対して、「私も当事者だけど〜」と訴えている人の人格・存在否定や、自己責任・品行方正を押し付ける強烈な言説が多く流されていることは、この社会自体が取り返しのつかないぐらい、憎悪に満ち溢れていることを示唆しているのでは。
「明日は我が身」という返し方もそれはそうだけど、社会が今まで「人権」を大きく歪めてきた結果ではないのかと…。
今こそ、国際人権規約に忠実な政策、包括的差別禁止法、ヘイトスピーチ規制法が必要なのでは。
(この社会の現実を投影する真っ当な移民法・LGBTQ+差別禁止法…も)
また、やはり「特権性」(或いはそれを代替できる概念)をもっと噛み砕いた教育も必要なのでは…。
完全なるマジョリティはいないし、マジョリティ性・マイノリティ性の強弱が、いかに自分の社会的立場に反映されるかを、一人一人知っていればあんな言説が流れない社会になるのでは…。
とにかく、「私も当事者だけど〇〇に遭ったことない!」というような、邪悪な仮面を被った人達を当てにするべきじゃない。彼らは悪意を持った上で憎悪を振り撒いている…。
差別をやめろ、それに尽きる。
@energyball38 社会学における「特権性(Privilege)」は、まさに「社会的恩恵」という文脈を有していると思うので、そう表現した次第です。
ただ、「特権階級」を連想する人が大半なのではと思うので、代替できる言葉なり概念があればと。