デフォルトで保守的・反動的な多くの一般の人々に対して、現状の変更を望む左派がどのように向き合えばよいかって話をみなさんけっこうされてるみたいね。
おれがそういうことを考えるときの基準にしてるのは、キングがバーミングハムの監獄から「穏健派」に向けて書いた『黒人はなぜ待てないか』だったりする。
読んでない方は読んでみてほしい。めちゃくちゃ明晰だから。

あと個人的に思うのは、そうした保守的かつ支持政党なしみたいな一般の人たちというのは、無垢で受動的な存在では別にないし、そう見なしてやさしく「啓蒙」しようとするのは、ある意味でとても傲慢だってこと。
彼/彼女らは当然自分なりの合理性を生きていて、政治へのノンポリ的距離を保つために、政治的なものを生活から極力排するという、ほとんど不可能にも思える超人的努力を日頃から行なっている、主体的に生きる1人の人間だからね。
その主体性と合理性に対して、こっちも1人の人間として向き合うという、めちゃくちゃしんどいことをどうやるのかを考えないといけないんじゃないかな。それは大人が子どもを教育するような関係性じゃないよね。

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そして、ミクロに捉われて構造への視座を忘れないこと。個々人の意図や感情はとても大事だけど、大きな構造とそれがどのように関係しているのかとか、意図とは切り離された次元で、行動が構造の中でどう帰結するのかも見ないといけないと思う。
めちゃくちゃ難しいけど。

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