あと個人的に思うのは、そうした保守的かつ支持政党なしみたいな一般の人たちというのは、無垢で受動的な存在では別にないし、そう見なしてやさしく「啓蒙」しようとするのは、ある意味でとても傲慢だってこと。
彼/彼女らは当然自分なりの合理性を生きていて、政治へのノンポリ的距離を保つために、政治的なものを生活から極力排するという、ほとんど不可能にも思える超人的努力を日頃から行なっている、主体的に生きる1人の人間だからね。
その主体性と合理性に対して、こっちも1人の人間として向き合うという、めちゃくちゃしんどいことをどうやるのかを考えないといけないんじゃないかな。それは大人が子どもを教育するような関係性じゃないよね。