えめぴか 

実は餡子読んでからずっと、(少なくとも弊宅において)エメの「パパみ」が抜けないのってそういうことだよなぁとは改めて思ってるのでふっちね。

あれだけ頑張ったひかせんの死にそうになりながらの唯一の願いが「あなたが好きです」だったとして、えめぴはそれに応えて「まあたかだか半世紀程度」「ビジターとして」残ってくれるのだとしたら、今回の愛って「見守る愛」に近いんですよね。
古代の時にアゼのことを(愛したくなどないのに)能動的に愛していたのとはちょっと違う形の愛し方になるというか。

ヒカセンは一人の女性であって、アゼとは別の最愛なんだけど、同時にエメとアゼ二人の子のようなものなんですよね。えるぴすでエーテルあげて強化する話あるけど、あれってヒカセンがえめぴの魂を戴いてるってことだと思うので、、、

そう考えた時に、保護者的な愛情は生涯抜けやしないし、ヒカセンもそれをわかってるけど(一般的な男女の恋愛とはちょっと違う)、それでもえめと一緒にいたいと思う=その歪な事実を愛によって受け入れること=「私はアゼとは違う、でもそれで大丈夫なんだ」って思っててほぴいな的な

エメ→アゼ魂への愛って、もう友愛だの恋愛だの性愛だのの名前をつける、とかいうレベルを超越しちゃってるというか…

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えめぴか 

別にヒカセンとエメが性愛を結ぶ必要はないのでは、と思うのだけど、古代のアゼと交わっていた時間が本当に幸せで、ヒカセンにも(恋人なのだから)その幸せを教えたい、満たしたい(恋人である以上は恋人として世界で一番幸せにしてあげないと気が済まない※エメぴだし)

でもこれって、行きすぎると「エメは能動的に求めてはいない」ってなって、ヒカセンがそのうち「彼は私の求めるものをくれているだけ」ってなっちゃうので、ここの繋ぎは考えていかないとなぁって…(と、実は今ここが課題ポイントだったりする)

とはいえ、もし仮に本当にそうだとしたら、エメはヒカセンに「愛している」なんて言えるはずがない(エメはそういう男だと思う)ので、エメもエメなりに(エメのやり方でだけど)ヒカセンのことは一人の女性としてちゃんと愛してるという話はどっかで書きたい…。

ただ一つ自分の中で結論が出てるとすれば、仮にソル嫁がアゼ魂であって、生涯愛した女性が三人だったとすれば、アゼムは黎明(ハー)、ソル嫁は白昼(ソル)、ヒカセンは黄昏(アシエンとしてのエメ)、エメは永遠の美しい夜であって、ようやくこれで一日が終わるわけですわ。
そしてその長い一日を見守っていたのがヒュ。

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