@ne_cotte
物語ベースの考え方を
ナラティブベース
根拠ベースの考え方を
エビデンスベース
と言います。
多くの一般の方たちは
ナラティブベースなので
きっかけ的にはそちらに
寄り添いながら、服薬指導なんかの
人と関わる部分の医療は行おう
という教育もありますよ。
研究したって人に届かないんじゃ
しょうがないですからね、そこは。
@konchie 科学側めちゃくちゃ譲歩してくれている…!10数年前より最近の薬剤師さんたちがなんだか優しいように感じていたのですが、教育の力もありそうですねえ(かなり症状が話しやすくなった実感あります)
ナラティブベースのひとたちも科学側に寄り添っていいのよと思いつつ、そのケースもあるのかもしれないけど大半が知識の不備で結果が残念そうだなと思いました。
成功者の半生を綴った自己啓発本とか好かれるようですが、ものすごく「物語で理解」ですよね。
@ne_cotte 話しやすくなった実感、よかった!
看護師さんとかの臨床でがっつり患者さんと向き合う
医療職からはじまって、今はだいたいどの職も
そういう話は聞いてんじゃないですかね。
もちろんナラティブに寄り添った上で
自分の中のエビデンスとつなげないといけないんですけどね。
最終的にナラティブ的に大丈夫だから治療せんでもいいだろ
だと死んじゃったりするので。
専門家側が譲歩しないといかんだろ
というのが今の共通認識になってますんで
べつに譲歩していただかなくてもいいんですが
せめて強固な反ワクチンとかにはならない、
話を聞く、という譲歩はしてもらえると助かるなあ……
ナラティブベースの話し方は
普通の、人間の安らぎとかを目指す宗教も
偽科学も、自己啓発も、カルトも使うんですよね。
安らぎ目的なら乗っかりたきゃ乗っかっていいんですが
「上記どれなのかを判断する」ためには
エビデンスもひとつ大事だなあとは。
特に偽科学はよほど本人に余裕がない状態で
なければ、知識があって聞いてたら
どんなに「いい話」でも
「いいニセ話」と判断ついたりしますからね。
@ne_cotte それこそ
「へっへっへ、プリントゴッコをだせ!」
とかもナラティブベースに近いものがあります。
ウィルスは殻の中に遺伝情報だけ入った
(他に頼って殖えるから余計なものが一切ない)
存在なので、恐らく「殖えたい」という意志すらない
うまれたときの生存戦略に従って動き続けた結果
殖えることができていて今まで存在するモノにすぎず
へっへっへ、とか思わないのです。
プリゴ理論でわかる!ってなる物語を持っているのは
一定年齢層のオタクがメインですが
その人の物語に寄り添った説明です。
同じく、ばいきんまんみたいな虫歯菌とかも
主に歯みがき覚え中の子供さんのナラティブに寄り添っています。
言うたら擬人化はだいたい寄り添っています。
はたらく細胞とかもそう。
あれリアルに描いたら、子供型(赤芽球)から一人前の赤血球さんになる
ただの儀式として描かれてる「脱核」で一度人格吹っ飛んだり
擬人化じゃ見てられないようなことは細胞レベルでたくさんある。
コロナ禍下で闇堕ち医療者になる(医療者でありながら反ワクチンとかね)
者の特徴としてひとつ「ナラティブな医師」という話が挙がってきました。
https://twitter.com/georgebest1969/status/1597019701577535488
・多くの一般人はナラティブである
・専門家側が一般人と触れ合う時に譲歩して
医療が多くの人に届いた方がよい
という、NBM(Narrative Base の医療(Medicine))自体は
よいことではあるんですが
寄り添うあまりにそちらに抱き込まれる医療者がいる、という話ですね。
ピークの異様な数の感染者で精神的に参ってのことかも知れませんが。
ちなみにここから派生した話です>リプ元
https://pawoo.net/@konchie/109079496678165529
私は、医療者というのは
患者さんに接するときにはNBMでも
最終的にはEBM(Evidence Base の医療(Medicine))に到達するよう、
架け橋になるべきだと思います。
(なので、軸足はEBMから動かないから闇堕ちはしない)
だってEBM側にいられるようにせっかく訓練したわけだし。
寄り添うのと迎合するのは違うっしょ。 [参照]
ただ妄想と現実の区別、医療職への適性とは別の能力な気もするし
個人差もある気がするから
「私は」は語れるけど全医療者向けの教育としては
どうあるべきなんじゃろな……
元々
「科学者も人間なので自分の脳の中に
物語を感じる回路自体は存在する」
んだよ。でも
「データをみるときに物語を感じてたらだめ
意志なんぞあることになってたら
研究結果がゆがんでいってしまう
データを正しくみることができなくなってしまう」
わけなので。
単純に「適性のない(単にNBMとして学んでも根っこはEBMに踏み止まれずナラティブに取り込まれる)人は、NBMは知識として知りつつ、自分の中には置いても日常業務では使わず、患者さんとあまり触れ合わないところへ就職」という方法もまあある。
必ずしも、医療者への適性と妄想現実区別能力、両方を兼ね備えた人間のみ医療者にするシステムにせんでもいいだろ……
まずNBMって、ナラティブに寄り添わないと医療にアクセスできない患者さんを診るための「手段にすぎない」って自覚が医療者側に要ると思うんだよな……
ちなみに医療者も内心ひるまないわけではないんですよ。
(これはHPVワクチン問題が落ち着いた時のツイート)
https://twitter.com/konnchie/status/1369566789206646786
でも社会全体が反ワクチンに向かって行っても
科学者というのはエビデンスがあるなら「それでも地球は回っている」しないといけない立場の人間なので
(別にかっこつけてるわけではなく職責というやつである)
問題の渦中にあってそういう話は外に出さないだけなんだわ。
ひるんでそのまま堕ちる人間はいなくはないよなあ。
元つぶやきの方のお話と最早離れた、ネコットさんのお話に な話、だと思います。
これ、「以前にかかった時に、今と同じ●●という症状で、◆◆というお薬をいただいてよく効きました」という『情報』をまず出すのが肝要かなと。自覚症状の情報として。
なんでかって、『診察をし、今回何の薬(医療用)を出すか決定する』いわゆる処方権というのは法律上、医師(歯科医師や獣医師含む)にしかないからです。薬剤師にもないよ(処方箋を見て処方するのが薬剤師です)。
病院の薬の指名買いを試みるのはまず法律違反なので、患者さんにやらせてはいけないんですね。仕事としてやらないでと言っているわけで、気分を害しているわけでは(害している医師も人によってはいるかもなのでなんともだが)。
患者さんは一般的には一般人なので、本人の体感症状を伝えることしかできない。で、●●という症状だから今回も薬は◆◆だろうと思っている。
ところが医師はそもそも、前回●●という症状で来院した患者さんに◆◆を処方したのは、患者さんが●●という症状を訴えたからでは無い。無いってか、もっと広い。
●●という自覚症状があり、身体所見を見、場合によっては患部をのぞきこみ、聴診器をあて、この薬が効く症状であろうと『診断』をして『処方』を決め、前回は◆◆を出した。
だから今回も患者さんが●●という症状を訴えて、本人感覚では前回と同じだと思っていても、他のさまざまな要因から別の原因だと『診断』すれば別の薬を『処方』する。
で、本来医療機関というのは「そういうところ」なわけなんですが、
患者さん的には以前お話しした「ナラティブ」があって
(自覚)症状が●●なんだから◆◆が出て来るはずだ、という物語で理解しているんですね。
聞き取り姿勢が出て来たというのも要は、一度患者さんの、ナラティブベースの医療が施されるはずだ、というのに寄り添ってから、自分のエビデンスベースの医療の土壌に持ち込んだ方が「話が早い」んですよ。だからそうしてる。
でも、本来は患者さんの自覚症状のみでリクエスト薬出す場所じゃ無い。様々なエビデンスとなるデータを取ってそれに基づいて処方をする場所。患者さんの自覚症状は「データのひとつ」にすぎず、それのみで薬を決めるわけにはいかないんですよ。
あとぶっちゃけ薬の好みはある。
なんでかって、今みたいに処方箋もらって薬局行くようになる前は
病院の調剤室の限られたラインナップの中でなんとかしなきゃならんかったから
歴の長い先生ほど、ラインナップの中の薬の使用実績(使用回数が多いから効いた例数も多い)の記憶でもって、
「患者さんの体質次第だが他の要因だとこの薬を出すよな」というAとBがあったときに、Aが元々の病院のラインナップにあったらそっち選んだりするんですよ。
自分の中で効いた人が42/48と7/8だったら、割合全く同じですけど42/48選びません? 7/8の方ずっと使ってって分母が48になった時、分子が42に届かないかも知れない方考えるでしょ(実際は42以上かも知れないけど、それはわからないからね)。
患者さんの体質では実はBが合うかも知れないんだけど、それは飲んでみないとわからないから。