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BT 自分がキツい目にあっているor損を被っている、というのが「構造」のせいだという視点を持っていない。その視点を示されると、「構造? ならどうしようもないじゃん」になってしまう。どうしようもなくないよ、変えられるよ、と説明したところで、「でも自分1人がどうこうしたってさ、そんな力ないよ」になってしまう。「確かに1人だけでは難しいかもだけど、1人が動くのって意味ないわけないよ、大きいよ」と伝えると、「でも毎日忙しいから」になってしまう。

本当に毎日何も考えられず、目の前のことしか処理できないような生活があると知っているので一概に「こうだ」とは言えません。でも、かなり多くの人が、構造に立ち向かうことの長期的『面倒くささ』と、目の前の短期的なきつさの繰り返し(つまり長期的なきつさなのだけど、一日で区切るとそれは短期になる)を天秤にかけて後者を取ってしまう気がする。構造に立ち向かうためには考えないといけないし、日々のルーチンに「余計な」変化が求められるから。そしてそのことに対して気後れがある人は、立ち向かわないことを正当化する理由を探している。
「やりたくない」という欲求はかなり強固だと思う。

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