断捨離やかたづけがスピリチュアルに接近しているとか、文化事業を担っている行政がコストパフォーマンスの概念を導入する(おそろしいことに市民も歓迎する)ことへの批判や警戒感ならばわかる。あの手の話が出ると「コレクションを捨てろと言った、資料を処分するなんてできるわけない、すぐ絶版になる世情では買わないとなくなってしまう、ああいうことを言う人間はものをわかってない」みたいな反応が起こるのはなんかズレを感じる。所有物の処分を行うことや、読書にコストパフォーマンスを求めることって「否定」しなければならないのか?
(スピリチュアルへの批判はともすればミソジニーを帯びるように思うのでそういう点でもちょっと注意したい)