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天皇にしろ広田弘毅(この人は実際どうだったんだろう?)にしろ戦争を避けようとしたか乗り気じゃなかったという言説が美談として広まるということは戦争に乗り気であることが問題だってみんな認識してるってことよね。

>しかし百武の日記を精査した森山が実感したのは、天皇が41年10月中旬以降、これまでの資料で想定されたよりも、開戦に前のめりだったということだ。10月13日の日記によると、天皇と会った宮内大臣の松平恒雄(まつだいらつねお)が「すでに覚悟あらせられるご様子」と述べ、天皇の政務を補佐する内大臣の木戸幸一も「ときどきご先行をお引き止め申し上ぐる」と語っていた。
asahi.com/articles/ASSCY1QV3SC

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