岩波文章「太平記(五)」
直義が死んでしまった。ここからはほぼ足利方の内ゲバ話が続き、南朝方は脇役になっていきます。
印象的なエピソード:
天満宮で顔を合わせた三人の紳士、まずは幕府の腐敗体質が嫌になった東訛りの老武士。宮方は清貧の中にお暮らしであり心惹かれるところがある、と述べる。
そこへなよやかな公家の紳士が苦笑いをして、そんな良いもんでもない、天下を取る気も取った後の統治もやる気がない連中なので愛想を尽かして出てきました、とぼやく。
いやいや個々人の努力や至らなさのせいではない、前世の因果というものだから、なるようになるでしょう、と慰めてない励ましをする僧侶。前世じゃあしょうがない、今に平和になることもあるでしょう、と諦観と連帯とほのぼのとした希望が三人を包む。
会話に共感できるかはさておいて、このような寺社のイベントで敵味方貴賤打ち混じってぶっちゃけ話をする、という生活感がリアルです。公家、武家、僧侶といえば物語中でずっと相闘い血を流してきた三者だけに。この物語の成立に長年関わってきた人々の実感かもしれません。
挿入話として、死罪にあっても施政者の行状を書きつなぐ唐の史家たちの話があるのも、妥協の間に隠された語り手の矜持と言えるのかもしれません。