たぶん書いてないことをあれこれと勝手に想像したのだと思うので少しそれについて触れる
> 通信簿
私は子供の頃から個人の権利と境界線に関しては口うるさい人間だったから、通信簿を見せてもらうときは毎回必ず本人の許可を取るようにしていた。
成績や学力ってのは、同じ教室で授業を受けていたクラスメートに関しては当然ある程度予測できる。授業を聞いていただけでテストの平均点がほぼほぼ満点になっていた程度には勉強のできる人間だったから、授業についていけている人とそうでない人のこともリアルタイムで識別できていた(小学生の頃の「テストの点は100点が普通だよね?」とかいう会話をしていて実際に毎回100点を取っていた人はうちの所には自分の他に一人もいなかったが)。テストの点にしてもたまたま目に入ってしまったことがあったというだけで、見ようと思って見てしまったわけではなかったことも多い。そもそも返却されたテストの答案に関しては隠していない人が多かったのもある。私の通信簿を勝手に見た奴とかはいたけども。
CW
あと私は小学校の通信簿の成績は決して良い方ではなく、ほとんど全ての項目の評価が綺麗に真ん中に並んでいた。テストの成績が満点なのだからやる意味はないとして、宿題を各学期のうちにきまぐれで提出した数回を除いて一切やらなかったためだと思われる。先生に直接尋ねても通信簿の評価基準の内訳についてははぐらかすばかりで教えてくれなかったが、実際には提出したことのある項目にのみピンポイントで優がついていたからそういうことで間違いない(こんな方法で割り出した人は他にいるのだろうか?)。まあ、そういうわけで通信簿の成績に関しては「普通」です。誇れるような結果ではない。
まあ漢字の書き取りに関しては100問テストで毎回15点くらいを取る万年最下位でどうにもならなかったが。作文を書くのも苦手だったし。
なので、成果ではなく不当に課した時間と無駄な労力を評価する小学校の「通信簿の成績」とは関係がない。目に見えて分かりやすい物証だからそれを手掛かりにしていると思ったのだろうか? それとも私ではなくあくまで自分ならそういうものに頼るということだろうか。
ASDについて
あと私はASD傾向が強い方の発達障碍者であるのかもしれないが残念ながらASDではないです。もちろんそういったことについて個人的な欠点や苦手事項に共通点がないとはいわない。父親はASDだったが。
ASDの男性にもホストとして勤めているような一般的にみてコミュニケーション能力の高い人がいるらしいので、誰かの苦手なことの全てを発達障害の特性に求めてはいけないと思う。私も、ホストでないにしろ人並み以上にコミュ力のある常に人間に囲まれているような診断済みASDの男性と Fediverse で若干交流したことがあって、ASDだと聞かされた時は驚かされたもので、人間は分からない。その人、金銭問題などの色々なトラブルを残したままいつのまにか失踪したらしいけど。
ASDについて
EIEの人の弁証法的–アルゴリズム的認知は、まるでお互いに同じ言語を話しているような奇妙な錯覚を覚える程に思考過程が分かりやすいが、ASDの人のそれ(先に触れたコミュ力のあるASD男性)は私から見たときに過程や説明の奇妙なスキップをしていて何か生理的な共感のようなものはわかない(これはASD同士では了解可能であると思しき場面を目撃したようなことはある)。外界への注意を向ける順番や脳内の情報処理の過程が根本的に異なっているような感覚がある。比較的長い付き合いだった、ネット上で知り合った話し上手で聞き上手のASDの女性や、典型的な内向的思考型の男性でいわゆる孤立型の生活スタイルを送っているASDの父親に対しても感じていたことだ。彼らに何かを説明させると私にとって必要な箇所が抜け落ちてしまう。
異常者は異常者に囲まれる運命であるらしい。
一方的に人格批判じみたことをされるとこちらも一方的に言うだけ言っておこうとなるコミュ障で悪かったな……脱線しすぎた