たぶん書いてないことをあれこれと勝手に想像したのだと思うので少しそれについて触れる
> 通信簿
私は子供の頃から個人の権利と境界線に関しては口うるさい人間だったから、通信簿を見せてもらうときは毎回必ず本人の許可を取るようにしていた。
成績や学力ってのは、同じ教室で授業を受けていたクラスメートに関しては当然ある程度予測できる。授業を聞いていただけでテストの平均点がほぼほぼ満点になっていた程度には勉強のできる人間だったから、授業についていけている人とそうでない人のこともリアルタイムで識別できていた(小学生の頃の「テストの点は100点が普通だよね?」とかいう会話をしていて実際に毎回100点を取っていた人はうちの所には自分の他に一人もいなかったが)。テストの点にしてもたまたま目に入ってしまったことがあったというだけで、見ようと思って見てしまったわけではなかったことも多い。そもそも返却されたテストの答案に関しては隠していない人が多かったのもある。私の通信簿を勝手に見た奴とかはいたけども。
蛇足
(人間の能力傾向は基本的に子供の頃からそんなに大きくは変わらない。習熟するうえで色々な要因が絡むような複合的な技能は別として、知性の基盤となる資質は13~14歳ごろからの成長曲線がそれまでより大幅に緩やかになるものだとリアルタイムで人間を観察していて思った。ちなみに幼稚園の頃に、小学校のお受験の勉強を家庭教師に教わっているはずの裕福な家の友達の隣で何も教えられていないのに問題を解いたことがあるのが私になる。まあ同じ歳の級でも正確な年齢は最大約一年違うこともあるしな…子供の頃の話になると、早生まれの人とかは私よりも不利になる)
ASDについて
EIEの人の弁証法的–アルゴリズム的認知は、まるでお互いに同じ言語を話しているような奇妙な錯覚を覚える程に思考過程が分かりやすいが、ASDの人のそれ(先に触れたコミュ力のあるASD男性)は私から見たときに過程や説明の奇妙なスキップをしていて何か生理的な共感のようなものはわかない(これはASD同士では了解可能であると思しき場面を目撃したようなことはある)。外界への注意を向ける順番や脳内の情報処理の過程が根本的に異なっているような感覚がある。比較的長い付き合いだった、ネット上で知り合った話し上手で聞き上手のASDの女性や、典型的な内向的思考型の男性でいわゆる孤立型の生活スタイルを送っているASDの父親に対しても感じていたことだ。彼らに何かを説明させると私にとって必要な箇所が抜け落ちてしまう。
あ
他にも何度も引っ越しを繰り返した私の現住所を特定していて、昔からたまに私の職場の近くや家の近所で偶然遭遇する、中学時代の同級生だった内向的感情型の女性がおるな……今までほとんど話したことすらないんだけれど。駅前でただの偶然で出くわして通りすがったあと、私が帰宅するまで家の前に一人で居たことがある。なんだったのあれ……。昔からの Schizothymia 傾向、毎回違うファッショナブルな服装、早朝や夕方に広範囲を移動していることからするとプライベートか副業かではないかと思う。中学時代の視覚的な印象だけでいうと、入学二日目に一目見ただけでわかるほどに生まれつきで運動神経がよく、よって頭も良い方であるだろう。まあASDではない。
そんなことはどうでもいいから幻視か何かであってほしい。
ASDについて
あと私はASD傾向が強い方の発達障碍者であるのかもしれないが残念ながらASDではないです。もちろんそういったことについて個人的な欠点や苦手事項に共通点がないとはいわない。父親はASDだったが。
ASDの男性にもホストとして勤めているような一般的にみてコミュニケーション能力の高い人がいるらしいので、誰かの苦手なことの全てを発達障害の特性に求めてはいけないと思う。私も、ホストでないにしろ人並み以上にコミュ力のある常に人間に囲まれているような診断済みASDの男性と Fediverse で若干交流したことがあって、ASDだと聞かされた時は驚かされたもので、人間は分からない。その人、金銭問題などの色々なトラブルを残したままいつのまにか失踪したらしいけど。