人間にとって、主観とかワガママとかがどれだけ大切か。それを幼い時期に存分に体験させてもらえなかった人が、のちのちどれだけ辛いことになるのか、と言うことを日々実感している。
例えば、具体的には書けないけれど、ある人は、3歳ごろに子どもなら当たり前に思うような…何て言うかなぁ…世界観…天動説的な世界観があるでしょう?客観自然科学を習ってしまった私たち大人の目からはもう見たくても見れない世界を彼らは見ているから。
…3歳の時にお母さんに無邪気にそれを言ったら、普通なら(普通ならと言う言葉もくせものですが)「そうだねぇ。本当だね」と子どもの視点に立って新鮮な感動と共に共感してくれるところを、お前の見方は間違えていると叱られ、そのあと何十分も正しい自然科学的な知識について教え込まれたと言っていた。
そのエピソードを聞いた私は、その時の3歳児のこの世界を始めて体験した時の、胸いっぱいの感動が萎んでいく様子を想像してしまった(その想像は私のものなので違う場合も勿論あるのだけど)。その時のお母さんに否定されたショックや悲しみについて言葉にしてみたけど、その人はお母さんは正しい事を教えてくれたから良かったんだと私に食ってかかってきた。でもその様子は悲しみと怒りと自己否定の入り混じった混乱したものに私には感じられた。
星の王子さまと同じですよね。
象を飲み込んだ大蛇が見えない人と話しても仕方がないんですよ。
木箱の中の羊が見えない人とも。