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かなーーり以前 :twitter: サイトでフト呟いたのがキッカケで、日本の某有名考古学者の書籍にも引用されたことがあるんだけど、私は常に「歴史学が事件の目撃者たちを尋問して証言を集める刑事なら、考古学とは果たして目撃者達の証言がどこまで事実に基づいたものかを、現場に残された物的証拠を調査しそのデータを元に証言の正しさ或いは過ちを証明するCSI(科学捜査班)のようなもの」だと思ってる。歴史学、あるいは歴史的記述とは、書いた人間の視点や主観や偏見によって大きく歪められていたり誇張されていたりすることが多い。というか、そうでないケースは非常に少ないと思っておいた方が良い。「書かれたもの」をそのまま鵜呑みして頭から信じるのは非常に危険な行動だと思う。

歴史は言うなれば点、点と点を繋いで意味を見出そうとするものが歴史学、とまず考えておきましょう。点はまぁ事実、ですがごく限られた事実。その間を線で繋ぐ行為は、誰でもやっている日常の判断と本質的に同じ行為ですね。そこには純粋な客観性も完全にバイアスから解放された状態もありえません。ですからバイアスを怖がったら歴史学は成り立たないですね。考古学の方がより客観的のように見えますが、層位の解釈ひつとっても、人によって意見が違うことも少なくないです。すると遺物の年代判定が変わってきます。というわけで、バイアスは否定しきれないし、バイアスのおかげでより妥当な解釈ができることもあります。要はそれぞれの専門で判断力を磨くことしかないようです。

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