活版印刷/劇場が普及して以来、主には宗教共同体や武士階級、都市の住民、農村の支配層などによってさまざまな所望されたフィクション(as 製品カテゴリ)というのは、もちろん物語消費のみを満たしていたわけではない。自己啓発や教養志向の受け皿であり、コミュケーション消費の起点であり、雑学・風聞も含めた時事情報の摂取源であり、識字能力を養うトレーニング・グッズだった。そう考えると、読字行為の想定負荷が期待される報酬に見合わないと見なされる状況の背後には、かなり複合的に入り組んだ「満たされなさ」があると見るべきだろう。直近30年の日本語史にとって、それはどのようなものだといえるか。