活版印刷/劇場が普及して以来、主には宗教共同体や武士階級、都市の住民、農村の支配層などによってさまざまな所望されたフィクション(as 製品カテゴリ)というのは、もちろん物語消費のみを満たしていたわけではない。自己啓発や教養志向の受け皿であり、コミュケーション消費の起点であり、雑学・風聞も含めた時事情報の摂取源であり、識字能力を養うトレーニング・グッズだった。そう考えると、読字行為の想定負荷が期待される報酬に見合わないと見なされる状況の背後には、かなり複合的に入り組んだ「満たされなさ」があると見るべきだろう。直近30年の日本語史にとって、それはどのようなものだといえるか。
前提:さまざまな情報ニーズは大雑把に「紙からウェブへ」移り変わったわけではなく、その分野ごとに特色のある市場再編が進んだのだろう。
ゞネットニュース(のランキングページ)とSNS(のトレンド欄・推薦アルゴリズム)が新聞(紙の一覧的な構成)を代替した
・写真SNSや管理系スマホアプリ、How toサイト、実用系動画が「趣味・実用」「ファッション」カテゴリの上位互換になった
・勉強アプリと試験問題アップロードサイトが「学習書・参考書」の需要を奪った
…etc.
観点:ハイティーン向けフィクションの需要が文字からビジュアル(写真主体の雑誌、映画、漫画、テレビ…etc.)へと移転したのは20世紀後半からずっと起きていた現象のはず。
問い:テキストを主体としたフィクションの需要をいま、もっとも引き受けているメディアはなんだろう。チャットサービスやスマホゲームはそりゃそうだけど、全年齢で考えたときに。