話の途中に文脈・背景の補足を入れても悪目立ちせず、だれの内面にも(語り手の心中にさえ)簡単に出入りしても、さほどあざとくない雰囲気になっている。
こういう作風は、著者が映像化を拒みつづけてきたこととは裏腹に、実写であれアニメであれ、「動き」を表現しやすい映画という手法に向いていると思う。シナリオを構成しやすいし、音声だけの作劇を考えるのに比べたら、画面レイアウトも設計しやすいんじゃないか。ベストセラーであることを抜きにしても、刊行当時からこれまでにオファーが殺到していたのもうなずけるというか。
その代わりにむずかしいだろうのは、試写会をみた原作者(黒柳徹子)も語っていたけど、登場人物の性格を表現する演技や、表情・身ぶりのクローズアップ、(大衆映画としては)激しい展開の少ない断章的なストーリーを飽きずに見せる起伏の作り方、といったところか。どの難所にも製作陣はしっかり取り組んでいて、作画の素人(例:僕)にも見応えがあるように、手を替え品を替えた演出があちこちで試みられていた気がする(じっさい「夢」の場面は評判がいい)。
なかでもすごかったのは、(主役ふたりの前景で)校庭で遊ぶ子供たち、運動会の二人三脚、改札口から停車場まで駆け上がるところかなぁ。時代劇らしい泣かせの演技の分量はちょっと多すぎたかも。