『トランスジェンダー入門』がその後半で(かなり強い語調で)戸籍制度や「家族」概念の弊害を述べる姿勢にはしっかり共感しつつ、では具体的にどう統治コストと心理的不安を下げるかと考えると、ごく抽象的な水準では「親子」概念や複数主体のグループ化、なんらかの代理-表象システムといった論理構造を否定しきるのはかなり難しいだろうとも思う。
血縁関係や地縁的衆合を(続けたいひとは)否定せず、その呼称をゆるやかに変えていく名目的な操作がむしろ意外と効きそう、とでもいうか。学校教育では「親御さん」と呼ばずに「保護者」と言う、みたいな程度の話に落ちがちで、制度論から遠のきそうなのは気がかりだけど。
要介護世代をその子世代が多世帯住宅で扶養する風景が当たり前になっていて、認知や言語能力の衰えが一線を超えると、その被扶養者はある家屋の住人全体を代表する責任者ではいられない。「家長」ではなく「世帯主」を基礎とした社会制度のチューニングは、「家族」を守りたい層からこそ、むしろかつてなく求められているのかもしれないなと。