正直なことを言うと、身なりをオシャレにせずに自己を肯定することはとても難しいと感じている。
肉体は存在するだけで負債なので、オシャレをして誤魔化す必要があるんだと思う。

女の肉体というものが、深夜を一人で歩くこともできないとんでもないお荷物であることをせめて肯定的に捉えるためにはオシャレが必要なのではないか?

逆に、男の肉体は逞しくて力があり、ただ肉体として存在することができ、誰からもまなざされえないから、オシャレをして誤魔化す必要もない。

自分の肉体が、本当にお荷物で嫌になるんだよね。でも、おしゃれに着飾る文脈では、女性の体にも魅力がある。
でも着飾る道をやめると、ただただ女の体は邪魔で劣ったものでしかなくなる。

肉体が私の劣等性を明らかに表してしまう。

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着飾らない女、性行為をしない女は、弱者男性かそれよりも下のところにいるものだ。
なにしろ、男性からすれば、女性の魅力は「美」と「子を産めること」にあるらしいので。

私は着飾ることを否定したいのではなく、着飾ることを止めると、女の価値ってすごく下がって面白いな、と思っているだけのこと。

逆に言えば、自己を肯定できない女性がいて、着飾ること、子を産むこと、をしていない場合、それらをしさえすれば自己を肯定できる可能性が高い。

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