Xユーザーのじこぼうさん:
「松本人志の「不快な思いをされたり心が痛められた方がいるとすればお詫びする」みたいな偽装謝罪が罪深いのは、謝罪が自分自身から出てきたものでなく、被害者の「不快な思い」に対する反応でしかないからだ。そういう話法の中では、謝罪は能動ではなく受動、ある種の「受難」として認識されている。」 / X
https://x.com/kinkuma0327/status/1855037720181243978
「謝罪が「受難」であるという認識は、謝罪したのに許されないことに対する被害者意識を醸成する。偽装謝罪で事を納めようとした自身の傲慢さを相手に転嫁して、謝罪を受け入れないのは被害者の傲慢だ、と怒り始める。戦時補償問題における我々日本人の被害者に対する態度も、おおかたはそれである。」 / X
https://x.com/kinkuma0327/status/1855038255609397643