Twitterの時から、私はSNSの(少なくとも私にとっての)最大の特徴は、良くも悪しくも、その公開性にあると思っているので、基本的にはなるべく公開モードで書いている。

誰に話しかけるでもなく、いつも、見ている人、みんなに向かって書いている気持ちではいる…DM以外は。 

何と言うか、路上で拡声器使って見ず知らずの通りすがりの人に喋っている感じに近い。

もちろん、フォローしたりされたりして“顔見知り“は増えていくけど、それだって“路上“のみの関係性の人が大半な訳で。

だから、例えばTwitterでネトウヨに絡まれたりしても、私は当該のネトウヨに向かって返事している意識は薄くて、それを見ている双方のフォロワーに話しかけてる感覚が強い。ネトウヨなんてどうせ何言っても聞く気がない人が大半なんだから、その人自体に何か伝えようとしても徒労感しかないけど、取り巻いている人たちにそのやり取りを見て貰うのなら、なんか少しは意味があるかも…みたいな。

私は子どもの頃から嫌らしい性格で、いつも誰が聞いてるか見てるか意識して話すようなところがあったから、単にその延長なんだけど。

フォロー

リアルの知り合いを何人もTwitterに誘ってきたけど、その人たちの大半がその公開性に気が付かずに、例えば実名とかで平気で始めようとするのを見て、毎回慌てて止めて、諸々注意事項を説明しなければならないことが多くて呆れたけど、そう言う意味では私は多分元々とても用心深い。

私の仕事は、逆にクライアントの無意識の投影をなるべく引き受けられるように出来る限り匿名性を大切にする(いわゆる“自己開示“を控える。“隠れ身“を守る)ことを重視するので(公開性と真逆のことを目指している」、始めた当初から私が何よりもSNSで気をつけているのは、クライアントに見つからないようにすること。だから、そこら辺はヘマをしないようにかなりひと知れず神経を使っている。

同時に、業界全体として、あまりにも世間に対して閉ざしてしまっているところがあるんじゃないかという私の問題意識があって、業界の外の人に少しでも興味を持って貰えたら良いなぁと言う気持ちは強いので(世間的には良くも悪しくも凄く誤解と偏見を持たれていると感じていて、それはとても社会にとってもマイナスだと感じている)、本当はもっと賢い偉い先生方にやって欲しいと思ってるんだけど、私なりの理解の範囲で、拙いながらも人間の心についての私の理解を書いてみたりしている。

あ、そう言う意味では、元々Twitterでもその努力はしていたけど、ちょっと文字数とか、見てる人の興味とかの限界があって、なかなか説明しきれなかったのが、Mastodonではかなり思うように説明も出来るし、長い文章でも興味を持って読んでくれる人も多いから、満足感は大きい。

同じ文章をTwitterの方でも、こっちからコピペして、分かち書きにして投稿することは多いけど、やっぱり諸々あそこでは無理な感じが強い。もっと皆んな反射的にやり取りする場所なので、私の仕事に関するような、「あーでもないこーでもない」みたいな話に反応する人は少ないですね。

同じ文章をあちこちに貼り付けてみて、それぞれのSNSの特徴や傾向を感じることは、それはそれで興味深い。単なる偶然とかも、勿論関係しているのだろうけど。

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