ドイツ現代史の藤原辰史さんの「ドイツ現代史の取返しのつかない過ちーパレスティナ問題軽視の背景」を読む。
 しかし、これは「朝日」や「毎日」ではなく「長周新聞」という編集長が霊界にいるメディアに発表された、というのが日本の現状である。

 この文章に少しコメントしたい。
 西ドイツは「ナチズム」との暴力と向き合わなければ西側に復帰できなかった」とあるが、これは補足が必要だろう。

 西ドイツは68年まではナチズムの暴力に向き合っていたとは言えず、日本では夙に有名だったゾフィー兄妹の記憶なども抑圧されていた。というのも、「反ファシズム」に参加したのは、ほとんどが共産主義者・社会主義者だったから。WWII後初のSPD党首になったシューマッハーは1933年から45年まで強制収容所にいたし、首相にもなったW.ブラントは同様にノルウェーで反ナチ活動を行っていたが、これがドイツ国内で政治で決定的に有利に働くことはなかった。

 つまりWWII後のドイツは「非ナチ化」より「反共」が優先されたのである。また1957年からのアデナウアーのイスラエルに対する軍事支援は明らかに前年のスエズ紛争でのイスラエルの失態を穴埋めするため。すでにこの頃からドイツではナセルを「ヒトラー」になぞらえる言説が流通し始める。

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訂正) ゾフィー兄妹(誤)
    ショル(兄妹)

 ショル兄妹の「抵抗」は、大戦末期のキリスト教リベラルの立場からの抵抗。

 全く「共産主義者」ではなかっのだが、反「ファシズム」に光を当てること事態が「東」=「社会主義圏」を利するとして、長くショル兄妹の記憶は封じられて来た。

 蓮実は『群像』インタビューで「ファシズム」の語が「それに関わる全員が同じ考えをしたかのような紋切り型」として機能する、とまたえらく「眠たい」ことを言っている。

 「多様性」の例として蓮実が挙げているのが、例の「ワルキューレ」、国防軍首脳によるヒトラー暗殺計画であるのだから、「開いた口が塞がらない」とはこのこと。

 この「ワルキューレ」参加人物は全員「世界に冠たるドイツ」の信奉者であり、単にヒトラー個人に責任を押し付けてドイツを「救おう」しただけ。当然、誰一人としてホロコーストに公然と反対した人間はいない。

 戦後ある時期まで、親衛隊(SS)と区別された国防軍の「まともさ」が喧伝されたが、これは研究によって覆された。

 しかし、蓮実のファシズム批判の拠り所がドイツ国防軍というところが、エスタブッリュメント好きの彼らしい。日本で言えば「重臣リベラル」といったところか。
そう言えば蓮実の父の名は「重康」だった。
 

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