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市民運動に忌避感を生ませたという主張もわかるけど、それはあくまで攻撃側がレッテルを貼ってきた/あるいは冷笑してきたからであって
怒りをなかったことにする理由にならないと思う
(CRACの今までの運動史においてはもちろん指摘すべきところはあるけど)
怒ってんだよね。
それを「怒らずに、やさしーく、わかりやすーく言ってよ」って、端的に言って俺の役割じゃない(わかりやすさは頑張りたいけど)

真っ当な怒りを原動力にするアクションと、真っ当な怒りを大衆社会にわかりやすく希釈することを求められる(トーンポリシング)アクション
後者にマッチョイズムを感じてしまう。

みんながみんな同じアクションをするより、一人一人違いながらもできるアクションを取る。
それこそ、脱マッチョなんちゃうかなって。

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