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被爆二世の磯部典子さんのインタビュー記事。書いている小山美砂記者も意欲的ですごく面白く読みました。
被爆二世である磯部さんも被爆者であるお父さんも、日本社会が「被爆」をある種のアイデンティティにしつつもそのことによってステレオタイプ化し、片隅に追いやろうとするなかでずっと流れに抗う闘いをせざるを得なかったのだと思いました。
侵略をした加害者として被害を生み出してきたということ、同時に空襲・沖縄戦・被爆・抑留などいろんな局面で苦しみを受けてもいること、これら2つの経験を踏まえたうえで、社会をどう作っていくかという課題が日本社会にはずっとあると思います。
そして、その苦しみをステレオタイプのようなものに類型化することで処理できるかのように思わせ、こうした課題を「乗り越えた」ことにして、忘れさせようとする大きな力が「逆コース」以来ずっと、社会全体に働きつづけていて、苦しみを抱える方たちを置き去りにし彼らに課題を押しつけてきてしまった。
運動をやっている方がいろんな「しんどさ」をもちつつやっているとき、それを私たちはすぐ内部の閉鎖性とか「運動疲れ」みたいにラベリングしてしまいますが、本来社会全体が引き受けるべき苦しい闘いを押しつけられてきたゆえの「しんどさ」は運動自体の問題ではないと思います。 [参照]