今日の過去記事再放送、引き続き #江島道 。その13までで #鎌倉 ・下馬に到達、江島道の位置付けについて考察したまとめ。
そして、江島道については色々と補足的な記事が多いので、その中から単発的なものを。アーネスト・サトウの『明治日本旅行案内』については浦賀の水飴について取り上げた際にも触れています。
【江島道】「見取絵図」に沿って(その12:針磨橋から五霊宮前まで) https://kanageohis1964.blog.fc2.com/blog-entry-160.html
【江島道】「見取絵図」に沿って(その13:長谷寺前から下馬まで) https://kanageohis1964.blog.fc2.com/blog-entry-161.html
【江島道】「見取絵図」に沿って(まとめ) https://kanageohis1964.blog.fc2.com/blog-entry-163.html
アーネスト・サトウ「明治日本旅行案内」鎌倉の記述から https://kanageohis1964.blog.fc2.com/blog-entry-388.html
【江島道】馬喰橋の景観に変化がありました https://kanageohis1964.blog.fc2.com/blog-entry-534.html
今日の過去記事再放送は、アーネスト・サトウの著作に見られる「ローマ字」表記の特徴の分析。彼の「江の島道」を巡った際の紀行文を紹介した記事からの派生で、今とは若干異なる表記を使っている点に興味を持って少し掘り下げてみたのが発端になりました。
今はあまり「マクロン」をローマ字表記に使うケースは多くないと思いますが、必要な場合にどうすればUnicodeのマクロンを使えるかについても解説しています。
余談:アーネスト・サトウ「明治日本旅行案内」の「ローマ字」
https://kanageohis1964.blog.fc2.com/blog-entry-389.html [参照]
明治学院大学のデジタルアーカイブスの再開は既に成されていたので、一旦削除して修正しました。