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BT)全くご指摘の通りです。

 朝鮮戦争下でのサン・フランシスコ講和条約、形式的には講和・日米安保・地位協定の順ですが、実質は地位協定(形式的後も米軍管理下に置く)、安保(西側軍事陣営へ所属させる)、講和・独立の順でした。

 ですので、この段階で中国、ソ連、それにインド(非同盟中立)が講和条約に調印しなかったのは当然なのです。そもそも中華人民共和国は招待されず、インドは会議に参加を拒否、個別に日本と講和条約を結びます。

 そして韓国は日本政府の反対によって(英国も同調)、そもそも会議自体に招待されませんでした(憲法の国籍条項への挿入といい、当時の日本政府が如何に植民地主義の延長線上にあったかを赤裸々に語る)。

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