「冷戦 の起源」について(上)
米国はWWI前に工業力一般に関しては英及び欧州諸国を抜き去り、すでに世界一に躍り出ていました。
しかし米国は伝統的に常備陸軍を持たず、軍需産業も欧州諸国と比べると極めて小さい状態でした。
ですから、1917年にWWIに参戦した時にも、数百万の米兵士は大西洋を「丸腰」で渡り、仏で武器を供給されて戦ったのです。
またWWI以後は再び常備陸軍は縮小され、米国の覇権は中米、カリブ、フィリピン以外には及びません。
この「過ち」を繰り返さないと決意していたグループがWWII以後の米国の政策決定を主導。これをアイゼンハワーに倣って軍産複合体と呼ぶこともできます。
さて、冷戦終結後の研究ではソ連には勢力圏を拡大する能力も意志もなかったことが裏付けられています。(このことについてはサルトルが1951年の「共産主義者と平和」ですでに指摘)。
ではトルーマン・ドクトリンとは何だったのか?
これは、欧州・日本・トルコに米軍を常駐させるための巨額な軍事予算を議会で通すことが目的であったことが今日明らかになっています。
つまり、欧州(特にドイツ)、日本を半永久的に米国の軍事的保護国とし、併せてWWII中に急激に膨張した軍需産業を引き続き保護育成することがまずは第一の目的。