反共連合の「起源」その通りです。
元来米国の中にもWWII後の世界秩序を巡って社会主義圏を包摂するかあるいはソ連を仮想敵にして米軍を世界中、特にヨーロッパ・日本に駐留させるべきか、という路線対立がありました。
実際はソ連は米国に対抗できるだけの力はなかったのですが、トルーマンの判断によって、ソ連を「自由の敵」と名指し、巨大な軍事予算を確保する道が選ばれます。
日本の戦後改革の初期に関与した人々は主に国際協調路線を支持するニューディーラーと呼ばれるグループ。内務省、特高の廃止、労働三権の確立、最後に憲法の草案作成などはすべて彼らが携わったものです。
しかし、トルーマン・ドクトリンとともにGHQ内部でもウィロビーを中心とする反共主義者が主導権を取り戻し、ニューディーラーたちは帰国させらていきます。(「逆コース」)
そして朝鮮戦争によって米国は再軍備の指示を出します。
とは言え、1960年代までは情勢は流動的でしたので、CIAは自民党及び後に民社党となるグループに資金供与を続けます。
1960年韓国の李承晩政権倒壊、安保強行採決で岸辞任という流れに、対抗して作られたのが国際勝共連合です。KCIA主導の下、韓国の軍事政権と岸信介を「民間」で繋いだのが、笹川良一と統一教会の文鮮明です。
QT: https://mstdn.jp/@nasukoB/110111528228510598 [参照]