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まあ、1980年前後というのはまだ兵役で現役だった人も仕事の現役で、世論も護憲、漫画家も実体験として戦時がベースにある人のほうが多かったから色々と描いてたけど(中国残留孤児だって80年代の問題だし)、やっぱり殆ど被害体験なんだよね。日帝の加害性や戦争責任に言及したのは数えるくらいしかないと思う。まあはだしのゲンの特異なとこでもある。あと水木しげるの一部と石坂啓くらい?しか覚えがない。
漫画だから当然子供向けが主体なわけで、どうしたって子供の話になれば被害体験しかなくなるしねえ。小国民世代自身が沖縄を除けばほぼ戦地の体験がないから(満州なども引き上げの記憶で語られがち)刷り込まれてきた「美化された日本軍」を描きがちになるよねという。

保坂正康が指摘してたけれど、戦後の回顧録の類い、初期は参謀や司令官の回顧録ばっかりで昭和50年代から徐々に兵下士官の回想録や証言が出てくるようになるらしい。皆行社の南京調査はでかかったのかもしれない。共有できる機会が結構限られてきた(たぶん米の意志も含めて意図的にという背景がありそう)。

察するに「戦友会」などが言論封鎖の役に立っていたというのはあるだろう。あれも一部を除くと軍時代の階級そのまんまの組織だったようだし、大体古兵下士官将校の類いが先に亡くなっていって、二等兵初年兵だった人らが口を開けるようになったんだろう。
あとは勿論家族にも絶対に言えない残虐行為の事もあったのは容易に想像がつく。
そしてこれもまた大きいのだが、皆死んでしまったのに自分だけが生き残ってしまったという自責の念を持っている人が特に若い兵隊におおいのもあるようだ。これも小国民世代と同様考えることがあるのだが、二十歳前後の青春が全員「死」とほぼイコールだったというのは一体どんなだろうというのはどうしても想像がつかない。ついたらおかしいのだろうが。

とはいえ、そんなこととは関係なく、世界を未曾有の恐怖に陥れ、アジア2000万人の命を奪った日本人が外交的にも内政的にもその責任を放棄してよい理由には全くならない。例え米の思惑があろうがそんなものに便乗して復興をとげたという恥の上塗りが許されていい訳がないのは当然の話であるし、積極的に罪と向き合わず、ご都合主義的な未来志向に逃げた責任は日本人にはある。

鮫島伝次郎は戦後日本を象徴しているのだった。

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